「光る君へ」松原客館でも知られる福井県・気比の松原へ。作家たちが愛した越前の名勝地をたずねる
商いの町・敦賀でうまれた名産品とは?
また、敦賀は江戸時代中期から明治期にかけて、北前船の中継点として隆盛を極めた地です。北前船とは、蝦夷・松前藩(北海道)と大阪・京都を結ぶ商船群。品物を運ぶのみならず、途上の港町で安く品を買い、別の港で高く売って利益を得る、いわば“動く総合商社”でした。 敦賀は日本のほぼ中央、琵琶湖の北に位置していたため、日本海側で水揚げした商品を、琵琶湖を抜けて大阪・京都へ運ぶ中継地にありました。そして松前藩から届く商品のひとつに昆布があり、敦賀では早くから昆布の加工業が確立。おぼろ昆布は敦賀の主産業のひとつとなり、1970年代には生産量日本一になりました。 気比の松原のほど近くにある昆布加工店「高正昆布」の高橋衛(たかはし まもる)さんは、そんなおぼろ昆布を作って58年。各分野で優れた技能をもつ職人さんに贈られる「現代の名工」にも昨年、選ばれました。そして幸運にも、その高橋さんにお話を聞く機会が! 工房内にはシュッシュッと小気味のいい、昆布を削る音が響いていました。その音の源は一段高くなった作業場で片膝を立てて昆布を押さえ、もう一方の足でリズムを取りながら昆布を削っている高橋さん。 「腕だけではできん。足から腰までカラダ全体を使っているわけです。この態勢でカラダが動くようになるまでに3~4年、一日中仕事ができるようにカラダが落ち着くのに2~3年。商品が均一になるよう、悪いクセが付かんよう指導するわけです」 高橋さんが丁稚奉公をしていた時は技術を習得するまでに10年かかったとか。 北海道から届いた昆布を酢に2分ほど漬けて柔らかくした後、1~2晩寝かせて包丁のかかりをよくし、両端を切り揃える「耳裁ち」までが下準備。それから「削り」に取り掛かります。 削りでは1枚の昆布から、外側の風味の強い「さらえ」、表面から中ほどの「むきこみ」、芯に近く繊細な味わいの「太白(たいはく、たひゃく)おぼろ」と、異なる品質のおぼろ昆布が作られます。最高級品である太白おぼろは向こうが透けるほど薄く、厚さなんと0.01ミリ。高い技術が求められます。 おぼろ昆布の後は、芯をサバ寿司用のサイズに切り落とす「バッテラ昆布」を作り、これらの工程で出る切れはしをブロック状にして、機械で糸状に断裁したのが「とろろ」。一枚の昆布から、様々な加工品が生まれるわけです。