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[寄稿]病理になってしまった韓国型ファンダム政治文化

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ハンギョレ新聞

朴正煕恐怖政治の被害者たちに対する考慮のない朴正煕崇拝や、朴槿恵積弊政権の被害者らに敵対的であるばかりの太極旗集会の雰囲気同様、自由主義陣営の熱狂的なファンダムには基本的人権意識すら欠如している。ひたすら名望家や権力者と自分を同一視するだけで、権力の副作用や乱用問題に対する批判意識はまったく見られない。  最近起きたソウル市でのセクハラ疑惑と関連し、私が驚いたのは、疑惑そのものではなかった。悲しいことだが、公共部門を含む韓国の職場ではセクハラや強制わいせつ行為は依然として蔓延している。昨年、女性家族部が発表した調査結果によると、女性会社員のうちセクハラを経験した割合は14.2%に達するという。つまり、7人に1人は職場でセクハラにさらされているのだ。在野時代、立派な業績を残した方にセクハラ疑惑が持ち上がるのも驚きではなかった。権力は人間の“脳”作用を大きく左右するし、依然として家父長的な雰囲気の中でヒエラルキーの“頂点”にいる男性が、保護膜のない女性の下位者にセクハラやわいせつ行為をする危険性はいくらでもあり得る。昨年、裁判所の判決で強制わいせつ疑惑が確認された詩人のコ・ウン氏も、在野闘争時代に勇敢に戦い、また早くから高い評価を受けた作品を残した人ではないか。功績があるからといってセクハラを一生犯さないという保証はない。人間の弱さに比べ、人間を腐敗させる権力の力は強すぎる。  私が本当に驚いたのは、故人となった加害者とされる人の一部の熱狂的な支持層、そして全体的に彼が属する陣営の一部の熱烈な支持層の“態度”だった。いろいろ功労があった方の死を悼むのはごく自然なことだ。ところが、その疑惑と関連した新聞記事やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の掲示板の書き込みを見ると、正当な哀悼を超えて被害者に対する嫌悪感を露骨に表わしたり、被害者を2次加害する内容があまりにも多かった。最もよく見られた内容は「なぜ4年も我慢したのか」といった“疑い”だった。セクハラやわいせつ行為に対する常識がこれほど形成されていないとは嘆かわしい限りである。上で引用した女性家族部の調査では、職場のセクハラ被害者の82%が「我慢する」ことでその場をしのいでいると答えた。公務員社会でさえセクハラ被害を告発するチャンネルはほとんどなく、被害を訴える人が莫大な人事上の不利益や経歴断絶を覚悟しなければならないのが、昨今の残念な現実だ。実際、2次加害性の強い発言やさまざまな“陰謀論”に満ちた人権侵害的な書き込みこそが、多くの被害者が4年でもなく、一生我慢して生きている理由を如実に示している。私たちは依然として「ミソジニー(女性に対する嫌悪)」と男性の特権が強く働くペニス覇権の退歩的な社会で生きているからだ。  しかし、変わらぬ男性優越主義と人権意識の低さ、低い性認知感受性などを超えて、この2次加害性の強い書き込みは他の問題にもつながっている。韓国社会には特定の有名人に対する無批判的で没個性的で、時には激しい攻撃性までを帯びる「ファンダム」(特定分野に熱心なファン達あるいは彼らによる世界)文化が存在する。もちろん、熱狂的なファンダムは政治家に限られたものではない。今はほとんど記憶から消えたが、15年前、ファン・ウソク元ソウル大学教授のES細胞複製研究捏造事件が起きた時、ファン・ウソクを“死守”しようとする態度を攻撃的な方法で表現した「ファンパ(兄を意味するオッパに由来し、熱狂的なファンあるいは支持者を意味する)」集団が出現した。科学に対する盲信と民族主義的熱望、科学による国際競争意識にとらわれた「ファンパ」たちの集団思考の中で、ファン・ウソクは“民族英雄”に押し上げられた。ファン・ウソクの研究の真相が明らかになってからも、“英雄”に対する渇望が強かっただけに、熱狂的な支持者たちは現実を受け入れようとしなかった。ファン・ウソクの卵子採取方式における女性の人権蹂躙などの問題は、彼らの眼中になかった。  政治家に対する熱狂的なファンダムは、強硬保守や自由主義陣営にあまねく現れる普遍的な問題だ。3年前の朴槿恵(パク・クネ)前大統領が腐敗と権力の濫用などで弾劾裁判を受けた際、熱狂的な支持者たちは彼女を「イエスキリスト」にまで喩えた。無批判的で、ほとんど類似信仰的な態度はこれにとどまらなかった。7年前、当時の慶尚北道亀尾(クミ)市長は、朴大統領の父親である朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領を「半神半人」と表現した。北朝鮮をまるで“悪魔”のような存在と見なす一部の韓国の超強硬保守層が、北朝鮮の人々が聞いても驚くほどのきわめて誇張された修辞を自分たちの指導者に使っているのだ。論理的に考えると、自由主義陣営はこのような崇拝に近い無批判的な態度とはっきりと区別される、合理的で批判意識が前提となった進歩的な指導者観を持つべきだった。しかし、“崇拝”と間違われるほどの態度は、自由主義陣営でも確認される。  比較的最近の事例として、文在寅(ムン・ジェイン)大統領に「商売にならない」と訴えた市場の商人の個人情報をインターネットに流通させ、その「不敬な言動」をむやみに攻撃した一部の熱狂的な支持層の態度は、太極旗集会の雰囲気を連想させるほどだった。個人情報に関する人権的考慮も、立場や意見の相違に対する基本的な尊重も全く見られなかった。共に民主党の進歩性について合理的な疑問を呈したイム・ミリ教授に対する敵意に満ちた態度も、果たして自由主義陣営に自由主義精神がどれほど生きているのか、疑いを抱かせるほどだった。結局、セクハラ疑惑に包まれた自由主義陣営の有名政治家が自ら命を絶った状況で、その疑惑を持ち上げた被害者にだけ矛先を向ける態度も、このような激しい政治ファンダムの延長線上にあると見るべきだろう。朴正煕恐怖政治の被害者たちに対する考慮のない朴正煕崇拝、朴槿恵積弊政権の被害者らに敵対的であるばかりの太極旗集会の雰囲気同様、自由主義陣営の熱狂的なファンダムには基本的人権意識すら欠如している。ひたすら名望家や権力者と自分を同一視するだけで、権力の副作用や乱用問題に対する批判意識はまったく見られない。“味方”の権力者が有無を言わさず、常に正しいという盲信があるだけだ。  権力が“すべて”である徹底したヒエラルキーに慣れた社会で、自分と特定の権力者を、想像の中だけでも結び付けて同一視しようとする欲望は当然かもしれない。それが権力とは縁のない自分への慰めになるわけだ。それに各種の「パ」を大量生産するのは、原子化し極めて冷笑的な社会での“権威”や“尊敬できる人生の先輩”に対する欲求であろう。どこにも信頼できる“人生の先輩”を見つけることができず、さまよっている新自由主義社会の被害者たちは、特定の政治家に彼らの欲望を投影し、彼を類似家父長として“仕える”のである。そうしたところで、この熱狂的な支持者たちを苦しめる新自由主義の弊害が決してなくならないことだけが問題ではない。熱狂的な支持が一歩間違えば、直ちに人権蹂躙につながるのも、韓国型ファンダム政治文化の問題だ。 パク・ノジャ(Vladimir Tikhonov)・オスロ大学教授(韓国学)(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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