67歳でのデビューに向けて着々と準備が進んでいる…森永卓郎さんが残りの人生をかける意外すぎるジャンル
■歌手でいる時はがんのことを忘れられる 歌手として私はこれまでに、中野サンプラザやよみうりホール、日比谷公園の野外ステージなどの大きな舞台にも立っている。歌は好きだが上手くはない。上手くはないが音痴というほどでもない。 とにかく歌うことが好きなのだからと歌手を目指すことにした。 15年くらい前にカラオケルームでデモテープを作り、マネージャーに頼んでレコード会社に持ち込んでもらったのだ。 箸にも棒にもかからなかったが、かくなるうえはとラジオのイベントで歌わせてもらうことにした。 昨年は東京国際フォーラムで4000人のお客さんを前に、沢田研二さんの「TOKIO」と、少年隊の「仮面舞踏会」と、髙橋真梨子さんの「for you…」を歌った。あんなに気持ちよかったことはない。 今年の7月にもニッポン放送の70周年記念イベントで、「ホワイトバタフライズ」というユニットを結成している垣花正アナウンサーと「モリタクマーチ」を歌ったばかりだ。楽しくて、気づけばがんのことなど忘れて熱唱していた。 ■写真を撮るワクワク感を楽しむ カメラをやり始めたのは高校時代だ。撮り続けているうちに、日経BPの雑誌で巻頭グラビアを担当するというチャンスにも恵まれたが、視点がマニアック過ぎたのかリストラされてしまった。 しかしその後もカメラ熱は冷めず、2004年に『ミニカーからすべてを学んだ』という本を出版した時には、一晩で800台の撮影をした。 取材にもデジタルカメラを持ち歩き、出張では少なくとも一日に150枚くらい撮っていた。もはや質より量の世界なのだ。 写真エージェンシーから写真を借りると高いので、空とか建物とか公共施設といった目につくものを手当たり次第に撮って、安く貸し出すことを思いつき、ひたすらに撮りためていたのだ。たぶんお蔵入りになると思うが、それはそれで構わない。 レンズを覗きながらシャッターを切る瞬間のワクワク感を存分に楽しんだ、それだけで満足なのだ。