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女子マネジャーはコンビニ店員 妹の世話も担う三刀流

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朝日新聞デジタル

 JR久留里線の車窓から、ノックを受ける仲間が見える。君津青葉(千葉)のマネジャー、鈴木舞香さん(3年)は、グラウンドに戻りたい気持ちをぐっとこらえ、電車に乗っていた。 【写真】練習後、ベンチで部員と談笑する君津青葉のマネジャー、鈴木舞香さん(中央)=2020年7月9日午後5時20分、千葉県君津市青柳の君津青葉グラウンド、福冨旅史撮影  毎週水曜と金曜は練習が始まって約15分で抜ける。自宅近くのコンビニエンスストアでアルバイトをするためだ。  自分の家がほかと比べて生活が厳しいのかも、そう思ったのはいつからだろう。中学生になって、周囲で交わされる洋服のブランドの話題に徐々についていけなくなった。  中学3年の冬、両親が離婚した。母親と10歳と3歳の妹、自分の計4人で家を借り、新生活を始めた。母はコンビニで午前9時から午後1時まで働き、家事を済ませ、午後10時にコンビニの夜勤に戻った。帰宅は午前2時すぎ。朝方になることも多かった。  母のおかげで、生活に困ることはほとんどなかった。ただ、夜中、ひとりで給料を数える母を何度も見た。  高校入学直後、母に言った。「私も働く。アルバイトで家族を助けるから」。夏休み明けから、母と同じコンビニに週2回、通い始めた。  小さい妹2人の世話も手伝った。幼稚園に通う下の妹を風呂に入れたり、上の妹の学校の宿題の手伝いをしたり。寝かしつけた後に食器を洗い、風呂を掃除した。バイトや家事で、日付が変わるまで手が空かないことも多かった。      ◇  放課後、コンビニに直行する日々。家の助けになっているとわかっていたから、苦ではなかった。それでも、連れだって部活に向かう友人たちがうらやましく見えた。  2年の春。野球部に入るか迷っていた同じクラスの男子から、「一緒に野球やろう」と声をかけられた。数学の教師だった山本直哉監督にも、「マネジャーやってみないか」と熱心に誘われた。いつもの元気がない。2人には自分がそう見えていたようだ。  妹の世話はどうする。遠征の費用はどうする。数日間悩んだ。  期待が不安を上回ったのは、初めて練習を見学したときだ。驚くほど速く遠くまで飛んでいく打球や、ノックのボールに飛び込み、泥だらけになった同級生の姿。釘付けになった。  その夜。夕食後のリビングで、母に冗談っぽく言ってみた。「野球部のマネに誘われててさ」。母の顔をちらりと見た。意外な答えが返ってきた。「やってみな。家の心配なんてしなくてもいいから」。迷わず入部届を出した。  誰よりも早くグラウンドに行き、お茶や道具を用意した。スコアのつけ方も勉強した。打撃マシンにボールを入れる時は「1球目!」などと大きな声で部員に気合を届ける。  君津青葉は決して強くはない。休みがちになる部員もいる。誰の顔色が変わったか、誰の声に元気がないか。そんなこともマネジャー用のノートに書き、後輩マネジャーや山本監督と共有した。  気づけば部員の持ち物はにおいで判別できるほど、みんなのことを知り尽くしていた。      ◇  部活にバイトに妹の世話。「三刀流」の生活が続き、1年が過ぎた。  バイトで練習を抜ける時の負い目は抱え続けていた。部室で思わず、部員たちに「マネジャーなんて要らないんでしょ」と弱音を漏らし、言い争いになったこともある。  その直後、普段は静かな部員たちからも、LINEのメッセージや、直接の言葉を続々ともらった。「気にするな」「自分のペースでやれ」「お茶を作ってくれる舞香がいるから野球部がある」  練習を休みがちな自分でも、仲間は努力を認めてくれた。野球部の一員に、やっとなれた気がした。  コロナ禍で夏の千葉大会中止が決まった時はみんなと一緒に落ち込んだ。その後に決まった独自大会は、野球の神様がくれたプレゼントだと思った。  一生に一度の高校3年の夏。自分も熱中できることを見つけた。初戦は3日。笑顔で仲間の背中を見守るつもりだ。(福冨旅史)

朝日新聞社

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