橋本聖子・新会長に送る手紙、元JOC職員・春日良一氏が感じた「決意」
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗前会長の辞任を受け、大混乱を経て橋本聖子氏が後任に決まった。オリンピック選手として活躍していた頃の姿も間近で見てきた身として橋本氏への思いをつづった。(元JOC職員・スポーツコンサルタント 春日良一) ● 五輪担当大臣としての働きには賛同を 前略 橋本聖子様 大変ご無沙汰しております 。 この度の東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会・会長就任、誠におめでとうございます。 あなた以外にこの任命を受け入れることができる人はいなかったでしょう。 森前会長の女性蔑視発言に端を発した新会長誕生までのプロセスは、このオリンピックが包含する根本的な問題が噴出した数週間であったと思います。 橋本さんが五輪担当大臣に就任されてからの大臣の動きは、オリンピックを知りスポーツを知る人だからこそできた対応であったと思っています。そもそも五輪大会は IOC から委託された組織委員会(組織委)が実行部隊であり、組織委がオリンピック・パラリンピックのすべてを仕切ります。 五輪担当大臣は組織運営を国の立場から支える人であるはずです。そのことを十分理解して対応していたあなたに賛同します。
● 選手時代の姿、政界デビューしてもスポーツを支えた 私は日本オリンピック委員会職員時代に、あなたと出会いました。 私にとって初のオリンピック日本代表選手団本部の仕事でした。スピードスケート女子全種目にエントリーし、見事全種目の入賞を果たされました。当時、選手団本部の片隅に置かれたエアロバイクで毎晩、毎朝汗を流すあなたには、アスレティシズム(自己の身体を鍛錬し身体能力の限界に挑む姿勢)を感じました。 その自転車で日本一を目指し、ソウルオリンピック代表になったあなたには、そばにいたものとして敬意以外の何ものもありません。 トップアスリートでありながら、決しておごらず、周囲の支援スタッフや我々本部員にいつも感謝を示すあなたは、本部員として特に応援したい選手でした。 政界に出られたあなたには驚きましたが、きっとスポーツのための決心であったと理解しました。同じ頃 、JOCを退職し独立した私に、あなたから間もなく「日本スポーツの振興について橋本龍太郎首相(当時)から論考を求められたので助けてほしい」との依頼があり私は心を込めて 、「日本スポーツの改革論」を書き上げ、私の思いをあなたに託しました。 その後、私は、サラエボが「民族浄化の」中で無残な姿になっていくことに心を痛め、スポーツイベントを戦渦のサラエボで開催すべく現地に乗り込むことになりました。その際に便宜をお願いした私に支援をいただいたことを忘れることはありません。そう言えばサラエボは貴女のオリンピックデビューの場でした。