【ノーベル平和賞】福岡の被爆者の男性 ノルウェーの高校生200人に伝えたこと「一緒に進もう」
FBS福岡放送
ノルウェーで行われたノーベル平和賞授賞式を終え、日本被団協の代表団が13日、帰国しました。福岡から出席した被爆者の男性は、現地の高校を訪れ、若者たちとともに核なき世界を目指す決意を新たにしました。
13日午後1時すぎ、福岡から唯一授賞式に出席した中村国利さん(80)が、福岡空港に到着しました。 ■中村国利さん(80) 「素晴らしい1週間でした。授賞式でメダルを授与された時、感動しました。今まで自分たちを導いてくれた先輩の顔が思い浮かんで、喜んでくれてるだろうなと思いました。」
授賞式の翌日、中村さんはノルウェーの高校に足を運び、およそ200人の若者に生々しい戦争の経験を語りました。 ■中村さん 「男か女かも分からない、横たわる真っ黒焦げの死体。ずるむけの皮膚を肩から手首まで垂らして、トボトボと歩きバタバタと倒れる人。水を求めて川に飛び込む人。キノコ雲の下はこの世のものとは思えない、まさに地獄図でした。」 1歳の時、長崎市で被爆した中村さんは、原爆の悲惨さを後世に残す活動を続けてきました。高校生たちに伝えたのは、2歳で被爆し、短い生涯を終えた少女の話です。 ■中村さん 「とても明るく元気な子で、中学の教師になることが夢でした。ところが11歳で白血病を発症します。千羽鶴を折れば長生きできると、せっせと折り続けます。しかし願いはかなわず、12歳という若さで命をなくしてしまいました。」
中村さんは、今も世界各地で続く戦争や核兵器の脅威について、“自分ごと”として考えてほしいと呼びかけました。 ■中村さん 「皆さん声を上げてください。核兵器廃絶、そして戦争は絶対にしないと。タック(ノルウェー語:ありがとう)。」 ■現地の高校生 「日本被団協の話を聞けて、とても光栄です。被爆者の方々が広めてくれたメッセージを引き継いでいきます。」 「1人ではできることに限りがありますが、みんなが力を合わせれば状況を変えられます。一人一人が『核兵器はいらない』と声を上げれば、世界を変えられるはずです。」 講演の後、生徒が手作りした、長崎市の平和祈念像と原爆で破壊された浦上天主堂のオブジェがお礼の品として贈られました。
■中村さん 「こんなものを用意してくれていると思わず、びっくりしました。高校の生徒さんと一緒になって、交わって、人と人とのつながりは平和じゃないとできない。人とのつながりを大切にして、核兵器のない世界へ、みんなと一緒に進もうと決意しました。」 二度と被爆者を生まない世界にするために。中村さんは、これからも被爆者の思いを発信し続けます。