久保裕也、お疲れ様。幸せな現役生活だったね/川口和久WEBコラム
やり切ってやめる選手は多くない
家の片付けをしていたらスマホが鳴った。 「はい」と軽く出た。「何、なんかあった?」って。 そしたら、 「カワさん、僕、今シーズンで現役を終わります」 楽天の久保裕也だった。球団の発表前にかけてくれたらしい。 いわゆる「松坂世代」の40歳。2003年に東海大から巨人に自由枠で入団し、最初は先発だったけど、俺が巨人のコーチになった11年はリリーフで投げまくっていた。 野球が大好きで、腕がちぎれても投げたいという男だった。随分、無理もさせたが、嫌な顔もせず、投げてくれた。 ただ、その後、股関節とかヒジの故障もあった。俺のコーチ最後の年、14年はなんとか復帰したけど、体はまだ万全じゃない状態。それでも俺は、原辰徳監督に「僕の責任で久保を使わせてくれませんか」とケンカ腰で言ったことがある。 何度も書いているが、優勝するチームには、リードした試合の7回以降を抑えきる勝利の方程式陣も大事だけど、先発が早めに崩れたときの4、5、6回で踏みとどまる投手も同じくらい必要だと考えていた。 イニングまたぎができる肉体的なタフさと、劣勢でも気持ちを切らさず投げるメンタルのタフさ。それが久保にはある、と思ったんだ。 実際、このときもよく投げてくれた。俺は久保という投手には本当に感謝しかない。 15年限りで巨人を戦力外になってDeNA、それも1年で戦力外になって、今度はトライアウトを受け、楽天へ。楽天では育成も経験したが、再び支配下に戻って、今年、40歳での勝利投手にも輝いた。 すごいヤツだと思う。 「楽天は、どうだった?」 と聞くと、 「楽天と契約してもらったときから、ここで現役を終えようとはずっと思っていました。4年間やったことに関しては満足しています」 と答えた。 引退を決意したきっかけを聞いたら、二軍戦で投げていたときだったという。 今年はファーム生活が長かったが、二軍の打者と対戦している際、その打撃力の高さを痛感したという。 ベテランになった久保は、真っすぐを見せ、変化球でかわすという投球パターンだったが、かわしきれなくなったという。 140キロ台の真っすぐだと、真っすぐ待ちの打者に対し、裏をかいて変化球を投げても、打ち返されたり、当てられたりで空振りが取れない。それで、 「もうこの世界では生きていけないな」と思ったという。 ただ、「もう悔いはありません」とも言っていた。力を出し切ったのだろう。声からも清々しさを感じた。 俺は、 「裕也、悔いがないです、やりきりましたよという選手はなかなかいないよ。未練があるのがほとんど。君は幸せだね」 と言ったら、 「へえ、そうですかね」 と答えてくれた。 たくさんの苦労をし、たくさんの引き出しを持った男だ。きっといい指導者になると思うよ。 写真=BBM
週刊ベースボール