「ベビースターラーメン」米国へ、なぜ創業家は経営を投資ファンドに託したのか
「ベビースターラーメン」と聞くと、幼い頃、小銭を握りしめてお菓子屋さんに走ったなつかしい記憶や、「もんじゃ焼きのトッピングには欠かせないよ」と名脇役として活躍した記憶など、それぞれに思い出のシーンが浮かぶ商品だろう。おやつカンパニーは、スナック菓子として圧倒的な知名度を誇る商品を有し、堅実な経営を続けてきた。そんな同社が次の成長段階のパートナーとして選択したのは、外資系ファンドのカーライル・グループと異業種から招いた経営者だった。 自分だけのベビースターラーメンを作ろう!三重・津市におやつのテーマパーク
「もったいない」が原点
おやつカンパニーは戦後間もない1948年に松田産業として創業した。戦後の食料不足を解消するために、麺類などの加工食品の製造販売を手がけていた。ラーメンの製造過程で、どうしても麺が欠けてしまい、大量のかけらが発生していた。創業者の松田由雄社長(当時)は、「もったいないなあ、なんとかできないものか」と思い、麺のかけらを味付けなどしてアレンジし、従業員に食べてもらった。「社長、これおいしいです」と高評価を得、近所でも評判になった。「これは商品化できるのでは」と考え、1959年に満を持して「ベビーラーメン」として発売した。 1袋10円という安さで、子どもたちが手軽に買えるおやつとして一躍ヒット商品に躍り出た。1973年には子どもたちのおやつの「一番星」になってほしいとの思いを込めて「ベビースターラーメン」に改称。スーパーマーケットの台頭など流通革命の波にもうまく乗り、順調に販路を拡大していった。 同社の中興の祖と言えるのが、2代目として就任した松田好旦社長(当時、現会長)だ。1988年には、パッケージを一新しブランドイメージも刷新した。1993年にはCI(コーポレートアイデンティティー)を導入し、社名を現在の「おやつカンパニー」に変更した。2007年にはべビースターラーメンに次ぐ商品として「フランスパン工房」をヒットさせるなど、矢継ぎ早に改革に取り組んだ。2010年初頭には同社の売上高は180億円に拡大、中堅菓子メーカーとして安定した地位を築き上げた。 同社のお菓子は子どもがお小遣いで買える低価格の商品が多い。当時のベビースターラーメンは1袋30円。ヒット商品が出ればすぐ他社から類似商品が出る厳しい競争市場でもある。そのなかで生き抜くために同社がとったのは、生産工程を徹底して自動化し、製造コストを低減させる戦略だった。1992年に竣工した久居工場(三重県津市)は、当時の食品業界としては珍しい自動化・省人化を実現させたものだった。