不安と葛藤がつきまとう日々から40年……『日日是好日』の著者が語った人生観
森下典子・評「奇跡の四十年」
1956年神奈川県生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒後、就活に失敗し、記事を書くアルバイトを経てフリーライターとなった森下典子さん。樹木希林さんの遺作となった映画「日日是好日」の原作者である森下さんは、64歳となった今も精力的に活動するが、若かりし頃はいつも不安と葛藤がつきまとう人生だった、と回想する。本記事では森下さんが自身の人生を振り返りながら、感謝の気持ちを綴ったエッセイを紹介する。 * * * 五年前の冬だった。銀座で打ち合わせした帰り、数寄屋橋交差点で青信号を待ちながら通りの向こうにそびえる有楽町マリオンを見た。ふと、あの日を思い出した……。 一九七八年。私は就職活動中だった。未曾有の不景気でどこへ行っても履歴書を突き返され、打ちのめされて数寄屋橋交差点にやってきた。有楽町方面を見ると、軍艦みたいな大きなビルが建っている。なんだか「お前はいらない」と拒絶されている気がした。 内定なし、就職浪人決定……。そんな私にアルバイトの話が舞い込んだのは、その年の暮れだった。週刊誌のコラムに巷のこぼれ話を書く仕事だという。その週刊誌の編集部は、なんと、数寄屋橋交差点の向こうに見えた軍艦みたいな新聞社の本社ビルにあった。 それが書く仕事のきっかけだった。数十行の無署名のコラムを十年書き、私はフリーライターになった。 「身分の保証もないなんて。華やかなのはほんの一握りの人だけだよ」と、親は反対した。それもわかっていた。けれど、その危うい道に賭けてみたい自分がいた。体験記、インタビュー記事、ルポ。本も何冊か書き、三十代はあっという間に過ぎた。たまにまとまったお金が入っても、長くは続かない。仕事がないこともある。いつも不安と葛藤がつきまとう人生になった。 毎週土曜日の午後、私はお茶の稽古に行った。二十歳の時、母に勧められて、軽い気持ちで習い始めたお稽古事だった。……茶室に座ると、静けさの中でしか聞こえない音が聞こえてくる。木々の葉を打つ雨の音。お湯と水の音の違い。そして、釜の底で静かに鳴り続ける「松風」。釜に水を一杓足すと、松風は止み、しばし沈黙が続く。やがて断続的に「し、し、し、し」と鳴り始め、「し―――」と一つにつながる。私はその音に、心を預けた。すると、静けさが心の奥にしみ渡って、呼吸が深くなる……。お茶の帰り道は、空が高く、遠くまで見渡せた。 軽い気持ちで始めたお茶が、いつの間にか人生に寄り添い、仕事と対をなす両輪となって、私を支えてくれていた。 茶室の中で、心の中に起こることを、私は誰かに話してみたかった。だけど、それを言葉にすることは、夜見た夢をつかまえるのに似ていた。確かに感じたのに、言葉にすると違うものになってしまう。私は薄い膜に隔てられているようなもどかしさを感じた。