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伝説のジャズ喫茶「ベイシー」が映画に。監督が語るジャズの魅力「ジャズは失恋ややさぐれた気分を炸裂させるパワーがある音楽。若い人にこそ扉を開けてほしい」

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1960年代にブームとなったジャズ喫茶。都内を中心に今なお残る名店も多いが、なかでも伝説として知られるのが、岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」だ。 マスターの菅原正二は早稲田大学在学中からバンドマスター・ドラマーとして活躍。卒業後もプロとして活動し、70年に「ベイシー」をオープン。世界中のジャズファンやジャズプレイヤーが、彼の"奏でる"レコードに魅かれて訪れる。大学の後輩であるタモリも常連客のひとりで、「ヨルタモリ」で演じた吉原は菅原がモデルになっているほどの仲だ。 その「ベイシー」の50年と菅原の生き様を描いたのが、18日より公開されているドキュメンタリー映画『ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(Ballad)』。菅原のインタビューとともに、渡辺貞夫や坂田明、エルヴィン・ジョーンズの演奏、そして鈴木京香ら著名人のインタビューで、ジャズや「ベイシー」の魅力が語られる。 今作は「ベイシー」という聖地を映像に残すため、のべ150時間にわたり撮影。ジャズ喫茶の映画というだけあって音にもこだわり、アナログ録音の伝説的名器「ナグラ」で生収録。「ベイシー」の空気感をそのまま再現した。 この映画を「扉を開けるチャンス」としてジャズの世界に踏み込んでほしいと話す星野哲也監督に、映画への、そして「ベイシー」への思いを聞いた。 ――星野さんは普段バーオーナーで、映画とは無関係の世界だと伺いましたが、なぜ今回の映画を撮ることに? 星野 成り行きですよね、ベイシーは今後永遠じゃないって感じた瞬間があって。マスターが70歳の足音が聞こえてきた時に「こんなことをいつまでもやってたら不健康だ、そろそろ戸締り考えないといけないよな」って言ってたんですよ。こんなに影響受けたジャズ喫茶がいつか無くなるんだなって思ったらいても立っても居られなくなってね。 ――それで自分が映像に残そうと思ったわけですね。プロデューサーやスポンサーなど監督以外の立場は考えなかったんですか? 星野 そう、最初はプロデューサーとか色々調整して形になればいいと思ってたんですけど、色んな人に相談してたら「そういうものは星野さんあんたがやらないと無理だよ」と言われて、腹くくるしかない、と思ったんですよね。それが2015年の春くらいかな。 ――そもそも最初に「ベイシー」を訪れたきっかけは? すでに知っていたんですか? 星野 知ってましたよ、憧れでしたから。でもだからこそ、敷居が高いよね。ふらっと行こうとするやつはバカしか居ない(笑)。最初に行ったのは97年の「ジョン・コルトレーントリビュート」に誘われて。店内にジャズが漂ってるというか、壁にジャズが染み込んでいるというか、とにかく濃い、変なとこだなって不思議な感覚だったのは今でも覚えてますよ。 ――それから東京から一関市までずっと通い続けていると。 星野 月1くらいは行ってたかな。中尊寺は1回くらい行ったけど、あとはホテルと「ベイシー」にいるだけ。日帰りで行くこともありましたね。ベイシーに4時間でもいられたら最高だもん。1分1秒でも居たいから、気づいたら終電だったり。 ――そこまで心酔しているからこそ150時間もの時間をかけて撮れたんですね。 星野 土足で入っていけるのは俺しかいないかもね(笑)。でも客商売やってて良かったなって思う瞬間はあるよね。これ以上やったら怒られるなってのがわかる「うるさくしないで欲しい。70になるからひっそり終わりたい」みたいなことは言ってたしね。 ――それでも残さないといけないという使命感はなぜ湧いたんですか? 寂しさ以外にも何かある気がします。 星野 なんだろうね、「ベイシー」がスタンプラリー的な感じになってるのかな。有名な店だから中尊寺のついでに寄るとか。観光感覚で目的意識っていうのがないとお互いいい時間にならないというか。わざわざ「ベイシー」に来て、カフェにいるようにスマホいじってる人もいるからね。 ジャズに対してもそう。街中のお店でジャズが流れているから聴く機会はあるんだろうけど、BGMとして流れているとジャズの面白いベースとかドラムが出てこなくなってるの。ジャズ好きな人からすると、悪いものが蔓延しておかしくなってるというか。だからこそ若い人に「ベイシー」でカッコいいジャズを知ってほしいっていう気持ちは強いかな。 ――正直、ジャズやジャズ喫茶というと格式高い印象です。それこそマニアックな世界でおいそれと入れないような。

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