熱が乗りうつる『永野&くるまのひっかかりニーチェ』/テレビお久しぶり#130
長らくテレビを見ていなかったライター・城戸さんが、TVerで見た番組を独特な視点で語る連載です。今回は『永野&くるまのひっかかりニーチェ』(テレビ朝日)をチョイス。 植物の名前を知らない『ボタニカルを愛でたい』/テレビお久しぶり#129 ■熱が乗りうつる『永野&くるまのひっかかりニーチェ』 永野と令和ロマン・高比良くるま、そしてアナウンサーの三谷紬の3人が、視聴者から投稿された「何だかひっかかること」について討論するトークバラエティ、『永野&くるまのひっかかりニーチェ』。今回の主な話題は、TVerのサムネイルにもなっている、『曲も知らずにバンドTシャツ着てる若者たち』だ。共に30歳であるくるまと三谷、そして50歳である永野との世代間も興味深い番組である。 永野がキレまくる番組だろうと勝手にイメージしていたのだが、番組中でくるまもそう言うように、どちらかというと聞き役に回ることが多く(くるまや三谷との年齢差もあるのだろう)、こうして見ると気のいいおじさんなんだなあ、と少し新鮮だった。話しやすそうな人というか、端的にコミュニケーションが真面目に見える。かなり脱線するが、バラエティでは、誰かの発言をウンウンと聞いていた人が、その発言をフリにドカンとボケて、笑いを取るという瞬間が多々ある。これ、ちょっと苦手というか、見ててしんどい。だって、自分が大真面目にしゃべったことをフリに使ってウケてる声のデカい奴がいたら、俺なら嫌だ。ウンウンと頷いていたときも、俺の発言を拾ってどうボケるかと、それだけを考えていたんだろう。芸人同士ならいいだろうが、大体こういうノリっていうのは、芸人じゃない人と芸人の間で行われる。まあ、これに関しては、私にもウケたがりの性質が多分にあるからなのだ。誰よりもウケて目立ちたいと思っているから、俺の発言をフリに使わせてたまるかというプライドが働いているのだ。あまりにも関係のない話をしすぎたが、とにかくこの番組での永野は、まったく圧のない優しいおじさんという振る舞いに見えた、ということが言いたかったのだ。 さて、前述のとおり、今回の主なテーマは『曲も知らずにバンドTシャツ着てる若者たち』。番組内で例に挙がったのがニルヴァーナ。自分がファンの立場で、ロクに知りもしないような若者がニルヴァーナTシャツを着ているのはどう思うか?ということだが、私はこの論争についてずっと言いたかったことがある。知りもしないで着ているとなぜ分かるのか?街でニルヴァーナを着ている若者を見たとして、知りもしないで着ているという判断を一体どこで下しているのか。「知りもしないで着ていますか?」とマイクを向けたわけでもあるまい。おそらくは、「コイツはニルヴァーナを知りもしないでニルヴァーナTシャツを着ているような人間に見える。そうに決まっている!」という偏見によって下されたものであるケースがほとんどだろう。これは、何かを見て怒る、ではなく、元々胸に秘めている怒りを当てはめる対象を探している、という、逆順による怒りではないかと思う。こういった点が、私がこの論争にずっと感じていた違和感だ。ちなみに、これは、「みんなニルヴァーナが好きだからニルヴァーナTシャツを着ているに決まってるだろ!」という主張ではない。正直なところ、確かに、知りもしないで着ている人だって相当多いだろう。しかし、街で見かけるだけじゃそんなことまで分からない、という確固たる前提があるわけで、それは道理であり、いったん無視していいようなモノでもない、ということを言いたいのだ。 そもそも知らずに着ていたって何の問題もないと私は考える。永野がちらっとこぼしていたように、それを批判し始めると、自分も何一つ身動きが取れなくなってしまう。”バンド”という形態だから分かりやすいけども、家で適当に使っているスプーンだったり、自販機で適当に買うコーヒーだったり、森羅万象、すべてのものにはルーツが宿っている。それらに逐一リスペクトを払うのは至難の業だし、そもそもそんな必要も無いはず。「(そのような消費をされても)ニルヴァーナにお金は入らないんですよ?」という指摘に対して、ニルヴァーナのファンである永野は「自分もブックオフでニルヴァーナを買うという罪を犯している」と返す。確かに同じことだ。人々が投げようとした石をひっこめさせる役割を、ブックオフは担っている。 番組の性質にあてられて、私も思わず色んなことを吐き出してしまった。私はこの文章通り、早口で思っていることをペチャクチャ話し続けるタイプの人間だ。そのあとすぐ寝る。毎日が楽しいばかりである。 ■文/城戸