言葉に揺るがされたら言葉に拠って身を支える 相模原事件と優生思想
当事者が抵抗する言葉を発信する
――相模原事件の時もそうでしたが、その後、杉田水脈氏のような政治家の発言などがあるたびに、岩崎さんがそれに対抗する言葉を発信されてきたのが印象的でした。どういう思いからそういう言葉を発信するようになったのですか? やはり相模原事件が起こった当初は、大変ショックを受けて、当時は何も言えなくなってしまいました。落ち込んで体調も崩してしまうほどでした。 だけど、このまま黙っているといけない。これまで私はこういう体であっても生きていけるんだと、「生き抜くという旗印」というタイトルで詩を書いて、それを基調とした発言や創作活動をしてきた身です。 このような事件が起こって、そこで何も言わない、ただ見過ごしているということはできないなと思ったんです。 自然とそのように言わざるを得ない、やるべきだと思いました。 これまで、私はあまり踏み込んで公に向かって社会的な発言や政治的な発言をしてこなかった人間です。ためらいのようなものもあったのですが、やはりそれを押し切ってでも、言わざるを得ないと思いました。 命の線引きをするような発言があるたびに発言していこうと思ったのです。どれだけの人が読んでくれるかはわかりませんが、私ができることをしようと、何かあるたびに発言していきました。 いちいち反論することは大事なのではないかと思います。私に限らず、発言を向けられている色々な当事者が抵抗する声をあげています。 差別的な発言が繰り返されると、気が弱ってしまうところもあると思いますが、それでも諦めずに、「違うものは違うんだ」と言っていく。抗う言葉を出すことは大事なのではないかと思うのです。 そういう考え方が広がっていってしまえば、生きる力が削がれていってしまうのではないかと思うからです。 そういう方向に行かないためにも、抵抗する言葉は必要だと思います。そういう社会の傾向や風潮のようなものを、押しとどめる、押し返すためには多くの声が必要です。芸術や文学も押し返す表現を発することができると思うのです。 どんな立場の人でも生きていく力、人間の奥底に眠っている生きる力を弱めないために、消えかかってしまった熾火(おきび)のようなものを吹き返す力になるような表現をしていける。 私もどこまでできているかわからないけれど、そういうことをしていきたい。それでそういう発言をしていくようになったのです。