中森明菜は、歌うために生まれてきたような人だ。作詞家が忍ばせた伝えたいことや情念を、楽曲の中から取り出すように表現していた
オーディション番組『スター誕生!』を経て、1982年5月にシングル「スローモーション」でデビュー、80年代のアイドルとして一世を風靡した歌姫、中森明菜。2018年以降はメディアには登場していないが、今年はデビュー40周年。2022年4月にNHKのBSプレミアムで放映された「中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版」の大きな反響を受け、6月19日にNHK総合で再放送される。(石川県で起こった地震により延期) 「残酷な天使のテーゼ」「淋しい熱帯魚」「東京」などの作詞家として知られ、中森明菜に詞を提供した及川眠子さんに、中森明菜への思いを寄稿いただいた。 【写真】「残酷な天使のテーゼ」など大ヒット曲の作詞を手掛ける及川さんの仕事道具はこれだけ * * * * * * * ◆歌がうまいだけではプロでやっていけない 中森明菜を、歌がじょうずなシンガーだと思ったことは一度もない。 たとえば音域が広いとか音程が正確な人とかは、それこそ他に掃いて捨てるほどいる。カラオケで鍛えた喉でじょうずな歌を披露してくれる素人さんたちが巷には溢れているし、と言うより、歌が上手いだけではプロとして長年やっていけないと思う。 そんな中でなぜ中森明菜が支持され続けているかというと、耳に引っかかる低音の声と独特の歌いまわしなどに加え、やはり歌、特に言葉に対する彼女の本能とも言える表現力が他の追随を許さないのだ。 もちろん作品の良さもあるが、お金を払ってでも聴きたい、そう思わせる歌を歌えるのがプロである。
歌姫としてそれこそ黄金期だった頃、『少女A』や『TATTOO』『飾りじゃないのよ涙は』『DESIRE』そして『難破船』など、多くの作家やアーティストに提供された楽曲で、それぞれ彼女は歌の中の主人公を演じてきた。 楽曲によって変えるファッションなど「見せ方」も誰も真似ができないような個性的なものだったが、やはり表現力という部分で他の歌い手を圧倒していたと思う。 もう30年近く前になるが、シングルカットされた『原始、女は太陽だった』、そして彼女の16枚目のアルバム『la alteracin(ラ・アルテラシオン)』に収録された『痛い恋をした』『したたる情熱』の3曲の詞を提供したことがある。 おそらく歌い手としてのピークはすでに過ぎていたのだろう、正直に言わせてもらえば、その声もかつての艶やかさや伸びはほとんどないに等しかった。 しかし、その歌声を聴いて思ったのは、歌うために生まれてきたというのは、こういうシンガーのことを指すのかもしれないということ。自分自身の本能に引きずられるように歌っている、どこか情念や執念に似たものを、私は感じたから。 歌唱力、表現力などという歌い手には普通に要求されるもの。そういうものを超えた場所に彼女はいた。
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