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横田滋さんは「大きな存在」 千葉県の特定失踪者姉が語る 家族高齢化、一刻の猶予もない

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千葉日報オンライン

 北朝鮮が日本人の拉致を認めてから間もなく18年。今月5日には横田滋さんが87歳で亡くなった。「常に残された家族の先頭を歩いてくれた大きな存在」。市原市の特定失踪者、古川了子さんの姉、竹下珠路さん(76)=千葉市若葉区=は、拉致問題と向き合うきっかけをつくってくれた横田さんをしのび、被害者家族の高齢化により、帰国実現を目指す運動の停滞と風化を懸念している。  1973年7月7日、当時18歳だった了子さんは「今、千葉駅にいる」という母親への電話を最後に、行方が分からなくなった。事件や事故に巻き込まれたとみていたが、居場所をつかむ糸口は何ひとつ得られなかった。  了子さんの失踪から約25年がたった97年、横田さん夫妻が家族会を設立。竹下さんは、テレビで夫妻の娘の横田めぐみさんのことを知り「(了子さんも)拉致の可能性があるかもしれない」と思ったという。  失踪直前の了子さんの写真を、テレビ局関係者を通じて元北朝鮮工作員に確認してもらったところ「平壌でとてもよく似た人を見た」という情報を得た。失踪後、了子さんに関する情報が寄せられたのは初めてで「生死のほども分からない妹の初めての便りだった」。  2003年に特定失踪者問題調査会が、了子さんを北朝鮮による拉致被害者の可能性を排除できない「特定失踪者」として公開。竹下さんは拉致問題解決に向けた千葉での活動を開始した。  理解が得られず孤独な時もあったが、いつも励ましてくれたのは横田さん夫妻だった。滋さんは「冷静なのに愛情にあふれた方。(問題の解決には)圧力だけではだめと教えてくれた」と振り返る。日本政府が認定する「拉致被害者」の家族とは立場が異なる葛藤の中で、滋さんの「一緒にがんばりましょうね」という言葉に何度も救われたという。  10年以上にわたり、JR千葉駅前で署名活動を毎月実施してきた竹下さん。今年は新型コロナの影響で1月を最後に中断していたが、20日に活動を再開し46人分の署名が集まった。署名活動は多くの人に特定失踪者の存在を知ってもらう貴重な機会であり、いつか了子さんが帰ってきた時には「千葉でずっとがんばっていたよ」と伝えるつもりだ。  「約2時間、街頭に立つのは体力的にもしんどくなってきたが、私たちが行動をやめたら忘れ去られてしまう」。竹下さんは、拉致問題関係者が高齢化する現状を危惧。滋さんも亡くなり一刻の猶予もない状況だと話し「今は家族が拉致問題の解決を訴えているが、それができなくなった時が怖い。政府はもちろん、より多くの人に拉致問題の今を知ってほしい」と力を込めた。

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