前田日明もビックリ「この子がWWEに?」小さな体で手にした女子プロレス大賞…Sareeeが明かす“14歳の原点”「浜口京子さんが教えてくれた」
中学時代、浜口京子が教えてくれたレスリング
この日の取材中、Sareeeは居合わせた何人かから声をかけられた。それがみな、同じような反応だった。 「リングでは大きく見えるから、こんなに華奢だと思わなかった。会えてうれしい」 「ええっ、本人なの。プロレスやってるとは思えない」 今は誰でも「頑張ればプロレスラーになれる時代」だ。もうプロレスラーは特別な職業ではなくなった。 「そういう時代だから私も14歳でこの世界に入れたのかもしれない。でも“誰でもできる存在”ではダメ。プロレスが好きだから必死に頑張れる。エルボーの打ち合いにしても、負けてたまるかとリング上で相手の気持ちと痛さを感じながら会話している。ロックアップ、関節技の取り合い、そこからヒートアップしていく。そこに燃えるものがある。プロレスは戦いですから。リングには人生のすべて、ありのままが詰まっている」 小学1年生の時、Sareeeは生で初めて女子プロレスを見た。NEO女子プロレスだった。瞬時にプロレスの虜になってしまった。 「ハマりました。その時、トップでベルト懸けてバチバチ戦っている選手に憧れて、私もこういうプロレスラーになりたいと思った」 Sareeeは毎週のようにプロレスを見に行くようになった。猪木ファンでもあり、プロレスに理解のあった父親は娘の夢を応援してくれた。だが、中学で進路を決める時期になって、NEOの社長と話をしようとしていた時に、団体が解散してしまうという現実に直面した。井上京子が新団体(後のディアナ)を作るというので、「やります」とそこについて行くことにした。 伊藤薫の道場ではひたすら受け身に明け暮れた。今ではこれが役に立っていることを実感できる。だが、当時のSareeeは中学生で、先輩の練習時間との兼ね合いもある。毎日リングで練習ができるわけではなかった。 もっと練習がしたくて、学校が終わると夕方、浅草のアニマル浜口トレーニングジムに制服を着たまま通った。浜口ジムにはプロレスラーを目指す男子は何人もいたが、女子は14歳のSareeeだけだった。 「子どもだったから、今考えると迷惑だったかもしれないですね」 でも、浜口京子がレスリングを教えてくれた。 「いざ、トレーニングを始めると浜口京子さんの目の色が変わった。最初に一緒に練習で出逢う人って大事ですね。影響を受けます。練習というのは集中して真剣にこうやるんだ、と教えてもらいました。デビュー戦の時、アニマル浜口さんと京子さんにメッセージをいただいたんです。京子さんがレスリングを始めたのが13歳の時だったので、『自分と重なる部分がある、頑張ってほしい』と言ってくださって」
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