火野正平さん死去 「握手しただけで妊娠」芸能史に残る女性遍歴で話題さらった希代のプレーボーイ
個性的で色気のある演技とひょうひょうとした存在感で親しまれ、希代のプレーボーイとして名をはせた俳優の火野正平(ひの・しょうへい、本名二瓶康一=にへい・こういち)さんが14日、都内の自宅で死去した。75歳。東京都出身。死因は明らかにしていない。葬儀は家族で行った。プライベートでは多くの女性と浮名を流し、「火野正平」がプレーボーイの代名詞として浸透していた。 芸能史に残る女性遍歴を持つ男が、最期は家族に見守られて静かに旅立った。 所属事務所によると、4月から持病の腰痛治療に励んでいたが、夏に腰部を骨折。これを機に体調を崩した。仕事復帰を願っていたがかなわなかった。「自宅で家族に見守られ穏やかな最期でした」という。5月には「鬼平犯科帳 老盗の夢」(時代劇専門チャンネル、来年2月8日放送)の撮影に参加。そのラストシーンが最後の撮影現場となった。 火野さんと40年来の親交があった佐藤浩市(63)は、亡くなった翌日に訃報を受け17日に自宅を弔問。遺体と対面し「正平さんらしくない穏やかな顔が“浩市泣くなよ”と言っているようで、少しだけ落ち着くことができたよ。正平さん、お休みなさい」と悼んだ。自宅近くの飲食店には10月に来店。店員は「つえを突き、ゆっくり歩いていた。ご家族ととても仲が良く、楽しそうにお話ししていました」と語った。 児童劇団に所属して人気子役となった。1973年放送のNHK大河ドラマ「国盗り物語」で羽柴秀吉を演じて注目された。時代劇や任侠(人ベンに峡の旧字体のツクリ)ものを中心に数多くのテレビドラマや映画に出演した。 1971年に結婚し、長男と長女をもうけたが、その後、新藤恵美(75)、小鹿みき(75)、西川(現・仁支川)峰子(66)ら多くの女優と次々に浮名を流した。「握手しただけで妊娠する」とすら言われ、愛人は9人とも10人とも。火野さん本人は「最高11股」とも語っていた。82年からは、当時、女優の鳳蘭のマネジャーをしていた女性と事実婚を続け、娘が誕生している。そのモテっぷりに「平成の火野正平」「○○界の火野正平」などと「火野正平」はプレーボーイの代名詞として使われた。 一方で、浮名を流しながら、別れた女性に恨みつらみを公表されることはなかった。ワイドショーに追いかけられても女性との関係を堂々と明かした。 主な出演作はドラマ「新・必殺仕置人」、映画「終戦のエンペラー」「ラストマイル」がある。旅番組でも人気を博し、2011年から始まったNHK BSの旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」では、全国を相棒の自転車「チャリオ」で訪ね、地元の人たちと交流する姿が人気を集めた。自由気ままに生きた人生だった。 ◇火野 正平(ひの・しょうへい、本名二瓶康一=にへい・こういち)1949年(昭24)5月30日生まれ、東京都出身。62年ドラマ「少年探偵団」で人気子役に。出演にNHK連続小説「芋たこなんきん」映画「極道の妻たち 危険な賭け」など。アニメ「君たちはどう生きるか」では声優を務めた。歌手活動も行い、23年には全国ツアーも開催した。