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元ブラジル代表主将を襲う悲劇。 正直で善良なカフーの笑顔が曇った

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webスポルティーバ

6月7日、カフーは50歳の誕生日を迎えた。サッカー界で唯一、W杯の決勝で3度プレーして2度の優勝を果たしたレジェンドだ。陽気なブラジルサッカーを象徴するかのようなその親しみやすい笑顔は、昔も今も変わらない。 【画像】ロナウジーニョ逮捕の裏に犯罪組織の影  しかし、本当に彼に近しい者は、その笑顔が以前とは同じでないことに気がついている。私もそのひとりだ。私は2002年の日韓W杯で、FIFAの役員としてブラジルのチームについていた、当時キャプテンだったカフーとは、以来、親しく付き合わせてもらっている。  いま、弱さを見せないよう、皆を心配させないよう、無理やり浮かべたカフーの笑顔はどこか痛々しい。なぜならここ1年ちょっとで、多くの禍(わざわい)が次々と襲いかかったからである。  その最たるものは、やはり息子ダニーロの死だろう。昨年9月、彼はサッカーのミニゲームをプレー中、突然心臓発作をおこして倒れ、亡くなった。まだ30歳になったばかりだった。カフーも一緒にサッカーをしており、懸命に助けようとしたが、力及ばなかった。  私のもとにカフー自身から連絡が来た。私は言葉がなかった。息子の死から2カ月はずっと泣いて過ごしていたと、のちにカフーは話してくれた。

「人生には、時に説明するのも難しいことが起こる。息子は私と一心同体だった。私は必死で彼を助けようとしたが、そのかいもなく、彼は私たちを残して逝ってしまった。本当に言葉では表せない苦しみだ。プロ選手として鍛えた私の身体やメンタルは強いはずなのに、それは通じない。何度優勝しようが、自分の息子を救えなければ、何の意味もない。本当に自分が無力に感じるよ」  ダニーロが亡くなる少し前の2019年7月15日、私は新聞の朝刊の、こんな見出しを見つけていた。 「2002年W杯キャプテンに巨額の借金か?」  カフーはサンパウロ市でも最も貧しい地区ジャルジン・イレニの出身だ。子供の頃はいくつかの家族とともにバラックのような家に住み、バス代がないのでどこに行くにも歩き、食事も1日1回のことが多かったという。  だからこそ苦しんでいる子供を見過ごすことはできず、2004年、同地区に「フォンダソン・カフー(カフー基金)」という施設を設立した。地域の子供たちはここにきて食事をしたり、スポーツや音楽、パソコンの使い方などを習ったり、簡単な医療なども受けられる。また、貧困の根本を打開するため、親に職業訓練を実施したりもしていた。ブラジルで最も有名な基金であり、多くの選手がそれに続いた。カフーは新しい形のヒーローだった。

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