元サッカー代表・羽生直剛さん 「野心」胸にアスリート支援に挑戦 オシムイズムが起業後押し 【ちばいろ】
千葉市花見川区出身でJリーグの千葉や日本代表としても活躍した羽生直剛さん(42)は現在、アスリートのキャリア支援やスポーツ事業のマネジメントなどを行う会社を運営している。「家族は40歳を過ぎて会社を始めるといったらびっくりしていた」。恩師の故イビチャ・オシムさんの教え「常に野心を持て」に後押しされ一大決心をし、新しい世界に挑戦している。 「キャプテン翼」に憧れ小学1年生で地元のこてはし台SCに入団。中学に進む頃には県選抜チームから声がかかるようになり、八千代高校では3年時に全国選手権に出場し8強入り。 周囲からは「(167センチの)身長のこともありプロは無理。なれても2~3年で終わり」といわれていたが筑波大卒業後の2002年、J1市原(現J2千葉)に入団。翌年、オシムさんが監督に就任。8色のビブス別に選手を振り分けるなど、独自の練習法に大いに戸惑ったが、いち早く「考えて走るサッカー」を体現できるようになり、レギュラーに定着。オシムさんが代表監督に就任すると、代表メンバーとしても活躍した。
FC東京、甲府とJクラブを移り17年に千葉に復帰も右膝のけがもあって18年に現役を引退。「困っているアスリートを助ける仕組みを作りたい」という胸に秘めていた思いを実現しようと自身で会社を興す決意を固め、20年1月に「AMBITION(アンビション)22」を設立。オシムさんが選手を奮起させるためよく口にしていた「アンビション(野心)」と現役時代背負い続けた「22」が社名の由来。 サッカー選手に限らず、実力はあっても資金面などで苦労しているアスリートと、有望なアスリートを応援したいという企業との橋渡し役を務めているほか、「ふるさと千葉のため、子供たちのために何かできないか」と千葉市内の少年サッカークラブのアドバイザーや大会運営をサポート。長南町では廃校を利用した通信制高校でサッカーを通じた教育支援をしているが、さらに同校とスポーツを核に周辺地域を活性化できないかと模索しているという。 今年5月からは県内の企業創業者たちのコミュニティーに参加するなど、自身のスキルを高めることも忘れない。 「現役引退の時は『できないとはっきりいうのもプロ』、会社を始める時は『どうしてもっと上を目指さないのか』というオシムさんからよく聞かされた言葉に後押しされた」。かつてオシムチルドレンと呼ばれた羽生さん。フィールドは変わっても恩師の教えを胸に「野心」を持って走り続けている。