首塚から出土した大量のしゃれこうべが伝える〈日本史上もっとも不幸だった戦国時代〉【麒麟がくる 満喫リポート】
久方ぶりの本格戦国大河ドラマ『麒麟がくる』。主人公は明智光秀だが、ドラマのヒロインは、光秀のいとこで織田信長の正妻になる帰蝶(濃姫)と思いきや、そうではない。 実は、門脇麦が演じる戦災孤児・駒がヒロインなのである。 多くの合戦が繰り広げられた戦国時代は、庶民にとっては、日本の歴史の中でもっとも過酷な時代だった。『麒麟がくる』で描かれる戦災孤児・駒の動向は、一見勇壮な時代だと勘違いされる戦国時代の現実を照射する。 戦国時代はどれほど過酷な時代だったのか? 『信長全史』(小学館)に所収されている〈日本史上もっとも不幸だった戦国時代〉を再録する。
* * * 戦国期の民衆は、合戦が起こると寺社や山林などに一時避難したが、より安全を求めて領主の城郭に避難することもあったという。 城郭避難の過程を見よう。まず民衆は、家財を土に埋める。戦禍から財産を守るためだ。そして、家族を連れて城に向かうが、城内で食料が支給される保証はなかったので、食料は持参だったという。 こうして多くの人間が城内に集まると、食糧不足と不衛生な環境が生まれやすく、疫病が蔓延する危険がある。疫病対策として、衛生面では、とくに糞尿処理に注意が払われた。北条家の浜居場城では「人馬の糞尿は毎日城外へ出し、遠矢で届く範囲に捨ててはならない」という城掟もあったほどだ。 もし、敵が城まで攻めてくると、民衆も武器を手に戦った。後述するように、合戦では人さらいなどの略奪がつきものだったので、民衆も必死で抵抗したのだった。
●敗者の領民を「乱取り」で奪うのは権利だった!?
どうやら、戦国時代の合戦は、一騎討ちや、兵法を駆使した集団戦など、華々しい戦闘が主流ではなかったようだ。その大半は、相手国に侵入して、収穫時の稲を刈り取り、民家の家財や人間を奪う集団的な略奪行為だった。 戦争の慣行として行われた略奪行為は「苅田」や「乱取り」と呼ばれた。寺社内など、場所や状況よっては領主が略奪を禁じたケースもあるが、当時の感覚からすると、乱取りなどの略奪行為は兵士の当然の権利であり、雑兵たちにとっては給料そのものだった。 雑兵には、次男、三男以下が多い。当時の家族制度では家を継げなかった彼らにとって、戦場は財をなす稼ぎ場であり、食いつなぐための場でもあった。積極的に戦場に赴く者も多かったという。