「中学生で“ゲイ”に出合った」いま注目のドラァグクイーンが語る男性との結婚と亡き母への想い
“ドリアン・ロロブリジーダ”の誕生
中学生になったドリアンは、大竹家へやって来たパソコンの、インターネットの検索画面にいろいろなことを打ち込むようになった。ウィンドウズ95がリリースされ、パソコンやネットが爆発的に普及し始めたころだ。ある日、ちょっとした好奇心から「ゲイ」を検索してみたところ、次から次へと気になる情報が見つかり、それから毎日検索しまくったという。 「そこから私の人生が花開いてしまいました!」 本格的な活動は高校生になってからだった。 「ネットを通じて、ウチの近所に住んでいたゲイの仲良しグループと知り合ったんです。そこでいろいろなことを教えてもらって、『ゲイってなんて楽しいんだろう!』と思ったんです。ちょうど思春期で、自分がゲイであることのアイデンティティーが芽生え始めていたころだったので、『生きててよかった!』と思えたんです」 ドリアンが高3の年末、グループでカラオケ大会を行ったときのことだ。友人が派手なメイクと衣装を身にまとい、女装姿で登場したことに衝撃を受け、「カッコいい!」と思ったことがドラァグクイーンの始まりとなった。 「小さいときから着飾ったり、きらびやかなものや衣装が好きで、中学時代にはビジュアル系バンドにハマったこともあったんです。これがきっかけで女装を始めるようになって、どうやって化粧をしたらいいのか教えてもらったり、活躍しているドラァグクイーンや往年の大女優の小~さな写真を拡大コピーしたりして、それを参考に試行錯誤しながらメイクをマネしていました」 大学受験を控えていたが「受験勉強はそんなに苦じゃなかった」と語る。 「現代国語で学年1位、でも数学でビリから2番という完全な文系で。だから英、国、社は勉強している感じがなくて……とはいえ、私の頭脳はあそこがピークだったと思います(笑)」 受験を勝ち抜いて早稲田大学法学部へと進学したドリアンだったが、入学早々大きな挫折が待っていた。 「ドラマとかを見て、大学って勉強するところじゃなくて遊んだり恋愛したりするところだと勘違いしていて、授業の履修登録へ行かなかったんです。後で同じ高校から早稲田へ進んだ友人から情報を聞いて真っ青、気づいたときには単位を取るのが難しい授業しか残ってなくて、初手から大コケ! そこからきれ~いに大学生活からドロップアウトしていきました。二丁目大学のほうが水が合っていましたね(笑)」 そのころ学園祭で初めて出会ったのが、現在ドラァグクイーン3人組ユニット「八方不美人」で一緒に活動するエスムラルダだった。 「当時学生だったドリアンが早稲田のゲイサークルのメンバーで、初対面は『すごいイケメンがいる!』と思って(笑)。背が高かったので、私のショーの後ろで暗幕を持つ手伝いをやってもらいました。今よりもはるかにピュアな感じがありましたね」(エスムラルダ) 学業そっちのけでドラァグクイーン活動にのめり込んでいったドリアンは自室に大量の女装道具を置いていたが、母親には「サークルの衣装係」とウソをついていた。 「学園祭で女装をして勝手に練り歩いたり、ゲイパレードに出ていたんですけど、2006年12月に新宿二丁目で開催された『若手女装グランプリ』に出場して、優勝したんです。22歳のときです」 その出場にあたり、ドラァグクイーン用の名前を決めなくてはならなかったため、自身が大好きな往年の大女優ジーナ・ロロブリジーダから名前を拝借。さらにフルーツの王様ドリアンと、背徳的な生活を送る美青年が主人公のオスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』からドリアンと名づけたという。 「濁点の多い名前がいいなと思って、そんなに悩まずにつけたんですが、今でも気に入っています。英語の表記は小説の“Dorian”ではなく、果物の“Durian”にしました。臭いけど、見る人にクセになってほしくて!」 よく「ロロブリジータ」と間違われるため、最後にも濁点があることを強調するように「ダ」にアクセントをつけて自己紹介をしている。 そんな駆け出しのころを、エスムラルダはよく覚えていると話す。 「正輝くんを初めてドリアンとして認識したのは、大学での出会いから数年後。新宿二丁目のクラブイベントでショーを見ていたら登場して、隣にいた友人が『ドリアン、面白いんだよね』と言っていたんです。 まさかそれが、あの早稲田のイケメンくんだとは(笑)。ドリアンの魅力はビジュアルの良さ、華やかさと見せ方へのこだわり、サックスで鍛えられた肺活量と声量、頭の回転の速さ……といったあたりに魅力を感じる人は多いと思うけど、個人的にはきまじめで努力家なところ、価値基準が明確で判断が早い一方で繊細さを持ち合わせているところが素敵だと思っています」(エスムラルダ)