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信仰と伝統を受け継ぐ公園都市 大宮駅(JR宇都宮線・高崎線・埼京線ほか)(前編)

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マイナビニュース

来年、さいたま市は発足から20周年を迎える。さいたま市は、2001年に旧大宮市・旧浦和市・旧与野市の3市が合併して誕生。県庁所在地のある浦和と交通の要衝でもあり県内の経済を牽引する大宮とでは、明らかに都市の色合いは異なる。 【写真】コロナ禍で、本殿でもソーシャルディスタンスを守った参拝をしている氷川神社 さいたま市構想は昭和期からあり、それだけに3市が合併して政令指定都市・さいたま市が実現したことは長年の悲願を実現したことになる。しかし、市民感情としては簡単には払拭できない思いを抱えたまま合併し、現在に至っている。特に、県庁や市役所といった市の顔ともいえる行政機関を浦和に"奪われた"大宮にとって、複雑な思いが燻ったままだ。 県庁や市役所が浦和に立地しているからといって、大宮の都市としての格が下というわけではない。街のにぎわいが劣っているというわけでもない。旧大宮市は江戸時代以前から武蔵国の一宮である氷川神社が立地している。氷川神社は広く信仰を集め、その参拝客で宿場町・大宮は大いににぎわった。 それは明治以降も変わらない。氷川神社は官幣大社の風格を保ち、高崎線・東北本線が開業した後は帝都・東京から近い行楽地として文人・墨客から人気を集めた。 高度経済成長期、金の卵と呼ばれた中学校を卒業したばかりの男女が労働力を担うために上京してきた。10数年後、若き男女は家庭を持つようになる。その際、彼ら・彼女らの多くは故郷から近い東京の北郊に住居を構えた。 金の卵たちによって、埼玉県の川口・浦和・大宮の人口は爆発的に増加。特に大宮の人口増と街の発展は目覚ましく、大宮駅界隈には埼玉県屈指の繁華街が形成された。高度経済成長から大宮の街は激変したが、今でも氷川神社とそこへとつづく参道は懐かしい面影と雰囲気を残す。 氷川神社の参道は、大宮駅の東口から徒歩数分の近距離にある。そんな環境ながら、参道には非日常感が漂っている。それでも、行き交う人々はそれを日常的に捉えている。参道を友達とともに自転車で走る学生、日向ぼっこがてらベンチに座っている親子など。参道は暮らしの中に自然と溶け込んでいる。 氷川神社の参道は歴史と伝統を醸しているが、参拝者の安全確保および違法駐車の排除、静穏な空間を目指して歩車分離工事を実施。2009年、それらは完了した。歩行者空間には灯篭や太鼓橋などが設置され、緑地は"平成ひろば"と命名された。参道が今の姿になってから、まだ10年。歴史的には浅いものの、それでも厳粛な佇まいが感じられる。 その理由は、約2キロメートルにわたって南北へと伸びる参道が石畳で整備されていること、参道の両側に植えられたケヤキ・サクラといった木々の力によるものだろう。こうした整えられた空間が静寂を保ち、不思議な力を放ち、神聖な空気で包む。参道には3つの鳥居が設けられているが、そのうち大宮駅東口から東へと歩いていくと見えてくるのが二の鳥居だ。 1976年に東京の明治神宮から奉納された二の鳥居は、大宮に移ってから40年以上が経過した。大宮に移ってからの歳月はそれほど長くないが、明治神宮という由緒と、刻まれた歴史とが重みを与えている。二の鳥居から北へと歩くと、右手に市立図書館と博物館が並んでいる。さらに北へ進むと、見事な竹林が茂る氷川の杜文化会館がある。同会館は能楽・日本舞踊・茶道などの活動拠点。鬱蒼とした木の茂る参道の終点は三の鳥居。それを潜った先が氷川神社の境内地となる。参道のような薄暗い雰囲気とはうって変わり、境内地は空が広がり、太陽の光が射す。 大宮の氷川神社は2400年もの歴史を持つともいわれ、大宮の由来にもなった。そんな霊験あらたかな神社だけあって、毎年の初詣は多くの人出でにぎわう。日常でも多くの参拝者を集め、近所の人の散歩・ジョギングコースにもなっている。ただし、昨今の新型コロナウイルスの影響もあって、当面の間は境内でのジョギングは禁止されている。 氷川神社本殿の裏手に回ると、そこは大宮公園。1885年に氷川神社の境内地を公園化することで生み出された公共空間は、さいたま市民のみならず市外や東京都などから足を運ぶ来園者も多い。大宮公園は日比谷公園を設計して公園の父と呼ばれることになる本多静六と国立公園制度を設計した田村剛が協力して造園した。明治・大正の公園界をリードした大家2人の手によって、日本を代表するような公園が1885年に誕生する。開園後、俳人の正岡子規と作家の夏目漱石2人が連れ立って訪れるなど、大宮公園は開園後から好評を博した。 大宮公園内には、埼玉県立歴史と民俗の博物館や県営大宮公園野球場などがあるほか、未就学児でも楽しめる児童遊園地や小動物園などもある。レクリエーション空間でもある大宮公園の北には、盆栽村が広がる。徳川政権が華やかなりし頃、江戸の町では園芸がブームになっていた。大名は庭園づくりに勤しみ、そこに自分の権勢を誇示するべく珍しい草花を植えた。 一方、大きな庭など持てるはずもない庶民は鉢植えで園芸を楽しむ。庶民の間では、鉢植えで育てられるアサガオが大人気になった。そうした園芸ブームもあり、植木職人は引く手あまたになった。腕のいい植木職人は大名にも重用されるようになり、大きな屋敷を構えるようになる。特に東京の駒込・染井一帯は植木職人が多く住み、一大植木職人街が形成された。 明治以降も駒込・染井には植木職人が住んでいたが、関東大震災で東京の街が灰燼に帰すと、駒込・染井の植木職人たちは新天地を求めて大宮へと移転する。植木職人たちが新たに住み着いたエリアは、いつしか盆栽村と呼ばれるようになった。栽村の一帯は緑が多く残り、家々の庭にも高木が植えられている。どことなく高級住宅街のような雰囲気も漂う。 時代とともに盆栽村の植木職人は減少しているが、それでも盆栽村一帯にはいまだ伝統を受け継ぐ植木職人が健在している。明治維新から150年が経過し、社会も私たちの生活も大きく変わった。それでも、大宮では街のあちこちで古来の信仰を守り、文化を継承している。政令指定都市として発展しつつも、いまだ大宮は歴史と伝統と文化を感じさせてくれる部分が残っている。 小川裕夫 おがわひろお 静岡市出身。行政誌編集者を経て、フリーランスライター・カメラマン。取材テーマは、旧内務省・旧鉄道省・総務省が所管する分野。最新刊は『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)。 この著者の記事一覧はこちら

小川裕夫

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