しんどい現実に向き合えなくても。他者を知る手段としてのドキュメンタリー
ドキュメンタリー業界を取り巻く環境の変化
── 近年、不安定な社会情勢も影響して、ニュースやドキュメンタリーなどを観ると人の苦しみを自分のことのように感じてしまって「しんどい」と感じる人が多いように思います。久保田さんはそんな状況に対して、どう感じていますか? ドキュメンタリーって内容によっては社会問題などが取り上げられているので、観る前から覚悟が必要なものがありますよね。こんなに余裕のない社会なら、なおさら「ドキュメンタリーを観るのがしんどい......」と感じる人は少なくないはず。それに、日本ではドキュメンタリー自体が「勉強するためのもの」と認識されがちなこともあってか、昔と比べて観ることのハードルが高くなっている気がします。 ただ、僕自身はドキュメンタリーをしんどいものだと思っていなくて。ドキュメンタリーを観ていると、そこで描かれている社会問題のテーマ以前に、映像に登場する人と、実際に会って時間を過ごしているような感覚がありませんか? ── 少しわかるかもしれません。人の暮らしや息づかいまで伝わってくるような。 ニュースだと、どちらかというと整理された情報を受け取る映像が多いと思うんです。いっぽうのドキュメンタリーは、もう少し「自分ごと化」できるというか。 ── 自分ごと化、ですか? ドキュメンタリーって、より「体験」に近いような気がするんです。ニュースに比べて当事者をより近く感じるぶん、自分の中にその内容を留めておけるような。 ── たしかに、ドキュメンタリーは撮る側と被写体との距離感が作品に出ているからこそ、テーマがとても身近に感じ心にスッと入ってくる気がします。ニュースだと、情報が次から次へ流れていってしまうような感覚があって。 それは、ドキュメンタリー作家が伝えたいメッセージのみを映像に込めているからだと思います。素材としては100時間以上ある動画を使って編集するので、ドキュメンタリーを一本作るのに、すごい時間がかかっているんです。僕も60分の映像作品に編集だけで最低2か月はかかっていて、毎回気が遠くなっています(笑)。 だけど、そのくらい時間を濃く圧縮するからこそ、いいドキュメンタリーを観ると、こちらまでパワーをもらえると思うんですよね。 ── 作家さんが取材対象に長時間寄り添って、その時間を観る側が受け取りやすいように圧縮した映像なわけですよね。そう聞くと、「社会課題が~」というより、もっと純粋に映像として体験してみたい、という気持ちが湧いてくるような。