「俺の名前あったよ」鹿児島空港で働く千人の名とJAC整備士がイラスト描く「あの日の空をもう一度」
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)により、生活のあり方が一変してしまった2020年。航空業界にとっても影響は甚大で、日本の航空会社も国際線よりは早期に回復が見込まれる国内線に期待を寄せているものの、12月の感染急拡大が事態の悪化にもつながりかねない。感染拡大により、年末年始の里帰りを断念した人も多いだろう。 こうした中、空港で航空会社が合同で出発便を見送るなど、国内では会社の垣根を越えた取り組みが目立った1年でもあった。鹿児島空港では、7月22日から「あの日の空をもう一度」をテーマにしたイラストとメッセージボードを設置。日本航空(JAL/JL、9201)グループで、同空港を拠点とする日本エアコミューター(JAC/JC)の整備士、草野文雄さんがイラストを描いた。 メッセージボードには草野さんがイラストと、キャッチコピー「あの日の空をもう一度、みんなの笑顔に会うために」をデザイン。文字は空港内で働く約1000人のスタッフの名前を使い、モザイクアートで仕上げた。12月24日からは、冬・春バージョンのイラストに衣替え。帰省や旅行といった、これまでは当たり前だった人の往来が元に戻るとともに、鹿児島の発展を願う。 ◆みんなのアイデアでやりたい 「あの日の空をもう一度」プロジェクトには、JACとJALのほか、鹿児島へ乗り入れる全日本空輸(ANA/NH)とスカイマーク(SKY/BC)、ソラシドエア(SNJ/6J)、ピーチ・アビエーション(APJ/MM)、ジェットスター・ジャパン(JJP/GK)、フジドリームエアランズ(FDA/JH)、空港バスの運行や空港での地上支援業務を請け負う南国交通(鹿児島市)、空港ビルを運営する鹿児島空港ビルディング(鹿児島・霧島市)も参加。鹿児島空港全体でコロナを乗り切ろうという取り組みだ。 幼稚園の頃からマンガを見て描くなど、絵に親しんできた草野さんは、機内誌にマンガを書くことを社内で頼まれ2016年から描いてきた。イラストとマンガは描き方が違うため、回想シーンなどの決まり事などを手探りで勉強していったという。 その後、2019年6月には社員が出勤時に1日がんばろうと思えるポスターを作ろうと会社の仲間たちと相談し、JACの本社や格納庫の入口に掲げる「さあ行こう!」をテーマとするポスターを描いた。そして、「あの日の空をもう一度」のメッセージを描くことになった。 「コロナが長引くとは思いませんでした」という草野さんは、この状況を乗り越えようという思いで描くことにした。草野さんがイラストを描く際に使う使うパソコンのソフトウェアは、Windowsに標準搭載されている「ペイント」。かつてはマウスで描いていたが、現在はペンタブレットを使っているという。 今回のプロジェクトで、草野さんは「自分のアイデアだけではなく、みんなのアイデアでやりたいと思いました。言葉も、こうじゃない、あぁじゃないとみんなで話し合い、言葉を考えてから描きました」と、同僚たちとともに構想を練った。 ◆「俺の名前、あったよ」 プロジェクトに参加した客室乗務員の川田志穂さんは、「こういう状態になる前は、満席ばかりが当たり前で、ありがたみを感じるようになりました。飛行機に乗るのは本来わくわくするものですが、今はおびえているという感じなので、笑顔になって欲しいという思いがありました」と話す。 一方で、1000人分の名前を確認するのが大変だったという。「名前が切れたり間違っていないかの確認は時間をかけました。みんな楽しみしていましたし、『俺の名前、あったよ』と声をかけてくれる人もいました」(川田さん)と、多くの人が参加してくれた分、間違いのない作品にするのは大変だったようだ。 整備士の松尾公平さんは、モザイクアートで空港で働く人の名前を入れることにした理由として、「少しでも参加型にできないかと考えました」と話す。鹿児島空港で働く人が一体となり、困難を乗り越えるきっかけになるようにした。コピーのデザインは、松尾さんが整備士の楠田千佳さんに声をかけ、まとめていった。 7月に設置した最初のメッセージボードは、草野さんが沖縄や奄美をイメージして描いた。メッセージで使った言葉は「どうやったら伝わるだろうかと、お客様と私たちの接点を一生懸命考えました」(草野さん)と、意見を出し合った。川田さんは「『あの日のそら』は受け取る人によってさまざまな意味があり、『みんなは』は空港で働く人も、お客様も、その先の人もです。イラストのおじいちゃん、おばあちゃんは『その先の人』ですね」と、これまでは日常だった親族訪問をイメージしていた。 12月24日からは桜島を題材にしたイラストに変わり、チェックインカウンターで働く委託先である南国交通の社員とともに考えた。 「いろんな人が関わって、プロジェクトメンバーではない人も支えてくれました」と草野さんは話す。2021年は、帰省や旅行といった人の往来が、これまでのように戻ってほしいものだ。
Tadayuki YOSHIKAWA