アメリカ文化と日本文化の意外な共通点(上)――文明からの「別荘感覚」
悩めるアメリカ
中学生から高校生のとき、アメリカは安保闘争の対象国であり、高校生から大学生のとき、ベトナム戦争の当事国であった。ケネディ大統領が暗殺され、ベトナム戦争はエスカレートしたが逆に反戦運動が広がった。若者たちはヒッピーとなり長髪にジーンズが反体制思想の象徴となった。日本にも反戦運動とヒッピー文化が広がり、アメリカのイメージも大きく変化した。桐島洋子の体験ルポ『淋しいアメリカ人』(文藝春秋)が話題となった。このころのアメリカ文化は、豊かさと強さの反面、それゆえの孤独と葛藤が顕在化していたのだ。 大学院生のとき、四ヶ月間ヨーロッパをヒッチハイクで放浪し、積み上げられた建築の石の重みに、時間の重み、歴史の重みを感じた。その後、設計事務所に勤めてからアジア、アフリカで仕事をした。先進国と途上国の差を実感したが、そういった経験を『建築へ向かう旅―積み上げる文化と組み立てる文化』(冬樹社)として出版し、幸いにもきわめて好評であった。そしてその間に、日本は途上国から先進国への道を駆け上がっていた。僕らはその過程で勉強し働いたのだ。「受験地獄」「モーレツ社員」という言葉がそれを表している。やがてその反省から「ゆとり教育」が生まれた。 アメリカには何回か行く機会があったが、長期滞在したのはすでに大学の教授になってからで、カリフォルニア大学バークレー校とニューヨークのコロンビア大学の客員研究員となった。つまり、本格的長期的アメリカ体験は、ヨーロッパとアジア、アフリカを経験したあと、かなり遅くなってからなのだ。当時は日本の工業製品の輸出ラッシュで、貿易摩擦の真っ最中であった。かつて豊かで強い工業先進国であったはずのアメリカが、逆に日本の工業製品の質の高さに追いつかなくなっていたのである。国と国との相対的位置関係は短期間に変化するものだ。
アメリカ文学の中の建築記述――「開拓者の小屋」と「山里の草庵」
アメリカ滞在中、アメリカ文学の中の建築記述について研究した。 トランセンデンタリズム(超絶主義、超越主義)のH・D・ソローから、「失われた世代」のE・ヘミングウェイやW・フォークナーを経て、「ビート文学」のJ・ケルアックに至るまで、アメリカ文学を読みふけったのだが、そこに「小屋」という言葉が多く登場することに気がついた。「hut」が一般的だが「cabin、shack、wigwam」など、多様な表現がある。それはもちろん粗末な小さな家を表すのだが、自分の家を卑下して使うことも多く、黒人奴隷や先住民の住まい、都会の中のみすぼらしい建築を指しても用いられる。そして彼らはそこに、何ともいえない愛情と懐かしさを込めていることが分かる。 現代アメリカにはもちろん豪華な広い家が多い。しかしその豪華さは、ヨーロッパの歴史ある宮殿や城館や、あるいは古い家系の家と比べると、どうしても「急ごしらえ」の感が拭えないのだ。文明が発達し、都会には高層ビルが林立する現代も、アメリカ人の心には「開拓時代の(丸太)小屋」が、居住の原点として残存しているのではないか。日本文学によく登場する「草庵」に似ている。一国の文学には、そういった住まいの様式が、歴史的に連続する情緒の器となって流れているのだ。 アメリカ人の心の底には「自分たちはヨーロッパの歴史的な文化を捨てて、この荒野を開拓し、そこに根を張って生きてきた人々の末裔だ」という意識が強くある。いわゆる「グラスルーツ(草の根)」であり、それが誇りであると同時に寂しさでもあるのだ。 日本の「草の庵」もまた、単に山里のみすぼらしい農家を指すばかりではない。都の殿上人が世をはかなんで隠棲する住居であり、鴨長明が随筆を書き、西行が歌を詠んだ住居であり、千利休が理想の茶室とした「文化の器」なのだ。 アメリカ人は、案外こういった日本文化を理解しようとする。