ミラノ・ダービーで蘇る「サンシーロ」の記憶(2)バレージ、フリット「ACミラン黄金時代」
ミラノ・ダービーが帰ってきた。ACミランとインテル、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァを本拠地とする両クラブが、スクデットを懸けて相対したのは10年ぶりのこととなる。かつてセリエAは世界最強リーグと謳われて、日本でも絶大な人気を誇っていた。変わらない「サンシーロ」の壮麗な姿は、あの時代の復活を予言しているのだろうか。 【動画】2021シーズン「ミラノ・ダービー」インテル最恐2トップが3ゴール
■郷愁のACミラン黄金時代
日本人ファンにとっても、ある程度の年齢以上の方にとっては「ミラノ・ダービー」は郷愁をそそるものだろう。 日本でヨーロッパ・サッカーの映像が簡単に見られるようになったのは、1980年代の末から1990年代の初めころの話だ。WOWOWが放送を開始したのが1990年。日本でも有料放送の時代が始まったのだが、そのWOWOWが1991年からセリエAの放映を始めた。 セリエAが選ばれたのは、当時、セリエAが世界最高峰のリーグだったからだろう。 オランダのルート・グーリットやマルコ・ファンバステン、西ドイツのローター・マテウスやユルゲン・クリンスマンなど、世界的なスーパースターたちはこぞってイタリアでプレーしていた。南米大陸からもブラジルのジーコやパウロ・ロベルト・ファルカン、そしてアルゼンチンのガブリエル・バティストゥータやディエゴ・シメオネなどが参戦しており、そして、あのディエゴ・アルマンド・マラドーナが“神”としてナポリに降臨した。 それは、まだようやくサッカーのプロリーグ化が話題となり始めたばかりの極東の島国のサッカー・ファンにとっては夢のような存在だった。 しかも、1990年のワールドカップがイタリアで開催されたため、スタジアムも新築、改築されて舞台も非常に華やかだった(実際は、イタリアのスタジアムの多くは老朽化したものも多かったのだが)。 こうして、日本人の多くはセリエAを通じてヨーロッパ・サッカーに親しむようになったのだ。 そして、さらにアリゴ・サッキ監督のプレッシング・サッカーで世界に君臨したACミランは、ヨーロッパ・チャンピオンズカップで優勝して、12月に東京の旧国立競技場で開催されていたトヨタカップに何度も参戦。日本人はフランコ・バレージが統率するディフェンスラインの一糸乱れぬ上下動やグーリットやファンバステンのダイナミックなプレーに生で接する機会を何度も得ていたのだ。