イチローにもあった過去…大谷翔平が通算100号記念にマドン監督からプレゼントされたM.C.ハマーのサインボールの謎とは?
大谷に話を戻すと、M.C.ハマーは知っていても、アスレチックスとの関係を知らなければ、マドン監督の仕掛けが理解できない。 M.C.ハマーは、1980年代後半から1990年代前半にかけてまさに一世を風靡したラッパー/ダンサーで、アスレチックスでバットボーイをしていたというのは有名な話。ハマーというニックネームは当時、ハンク・アーロンに似ていたことから、「リトル・ハマー」と呼ばれていたことに由来する。 そこまでは少し調べればすぐに分かるが、1994年からビジタークラブハウスのマネージャーを務めるマイク・タルバンに聞くと、さらに深いつながりが見えてきた。 「ハマーがここにいたのは、70年代の後半だったかな」 タルバンは、1980年からアスレチックスで働いている。よって一緒に働いた時期は被っていないが、「当時オーナーだったチャーリー・フィンリーの口利きで、バットボーイになったんだ」と教えてくれた。高校生のM.C.ハマーが、球場の駐車場で踊っているのを見て、フィンリーが「ウチで働くか?」と声をかけたのが始まりだったという。その後、「クラブハウスでもダンスを披露するようになって、選手らの間で人気 になっていった」そう。 80年代に入り、一気にスターになるまでの経緯については、その目でタルバンは見てきた。 「M.C.ハマーはしばらくインディーズで活動していたけど、お金がなかった。そこで(アスレチックスでプレーしていた)ドウェイン・マーフィとマイク・デイビスが、2万ドル(約260万円)ずつ出資したんだ。他にも、レコーディングのためのスタジオ代とか、必要経費をサポートしていたはずだ」 M.C.ハマーは、今でいうクラウドファンディングのような形でデビューを果たすと、またたく間に成功を収めたのだった。 「彼は今でも、ときどき顔を見せるよ」とタルバン。「今もオークランドに住んでいるし、アスレチックスとのつながりを大切にしているから」