「ピラニア軍団」の反骨“火だるまでプール”の撮影も平気な顔で「やりましょう」
どんな作品でも彼らは妥協をしなかった。軍団の「村長」として親しまれた映画監督の中島貞夫が語る。 「ピラニアの連中は撮影現場で非常に頼りになる存在でした。当時はちょうど現代劇のアクション作品が増えていた時期で、『ちょっと火だるまになってプールに飛び込んでくれないか』と頼むと、ピラニアの連中だけは平気な顔をして『やりましょう』と応じていた」 そんなピラニア軍団のアニキ分として、彼らと切磋琢磨し続けた名優がいた。スター候補として東映に入った渡瀬恒彦(享年72)である。 「少し遅れて映画界に入ったツネさん(渡瀬)には、体当たりで無謀な撮影に臨むピラニア軍団に負けるものか、という思いがあった。撮影現場ではツネさんとピラニアの連中の若いエネルギーがぶつかり合って、相乗効果を生んでいました」(中島) 中島がメガホンを取り、渡瀬が主演した映画『狂った野獣』(1976年)には、ジャックされたバスが横転するシーンがあった。 その撮影で渡瀬は「自分がバスを運転する」と言って聞かなかった。 「スタッフは『危険だ』と止めたけどツネさんは聞く耳を持たず、本番では本当に自分でバスを運転しました。 乗客役はピラニアの連中ばかりでしたが、彼らはツネさんによく酒を飲ませてもらっていたのでバスから降りるわけにいかなかった。川谷や野口貴史(享年81)は覚悟を決めて、転倒するバスにずっと乗っていた(笑)。あの時代、あえて危険なことをやるのがツネさんとピラニア軍団のスタイルでした」(同前) (第3回につづく) ※週刊ポスト2022年4月29日号