新国立での天皇杯初優勝を土産に神戸ビジャが万感引退マッチ!「最高の形でキャリアを終えることができた」
シーズンが終盤に差しかかった昨年11月13日。ヴィッセルを運営する楽天ヴィッセル神戸株式会社の三木谷浩史代表取締役会長を同席させた緊急会見で、今シーズン限りでの引退を電撃発表した。その時点でリーグ5位タイの12ゴールをあげていたビジャは、スパイクを脱ぐ理由をこう説明している。 「自分のなかでずっと考えていたことがある。それは『サッカーに引退させられるのではなく、自分の意思で引退を決めたい』ということだ」 周囲からはコンスタントにゴールを決め、加入1年目のヴィッセルに貢献しているように映っても、ビジャ自身が抱いてきた感覚は違った。会見が開催される直前。大阪市内に滞在していた三木谷会長を突然訪ねたビジャは、シーズン終了とともに引退したいと伝えた。 「非常に驚きましたが、ダビ(ビジャ)のサッカー選手としての哲学、いわゆる最後は輝いているうちに自分のキャリアを閉じたいという、まだまだやっていけるというなかでの決断を尊重し、我々としても快く受け入れることになりました」 引退表明会見の席上で、三木谷会長はビジャとのやり取りをこう明かしている。誰よりもサッカーを愛し、真摯に取り組んできたからこそ、自身のモチベーションとコンディションと真正面から向き合ってきたビジャは、30代の半ばに差しかかってからは契約を1年ごとに交わしてきた。 アメリカ・メジャーリーグサッカーのニューヨーク・シティFCから、2018年の年末に加入したヴィッセルでもスタンスを貫いた。そして、時間の経過とともに「時が至った」と判断したが、引退会見のなかで発した言葉は知られざる相乗効果もヴィッセルにもたらしている。 「私が強く願っているのは1月1日、天皇杯の優勝を成し遂げた後に引退したい」
フィンク監督の就任前に7連敗を喫していたリーグ戦は、引退会見の時点で残留争いから抜け出せないでいた。YBCルヴァンカップもグループCの最下位で敗退していたが、残された国内三大タイトルの天皇杯では2000年度、2017年度大会に次ぐ3度目のベスト4進出を果たしていた。 「タイトルを獲るためにヴィッセルへ来たし、特に天皇杯はチャンスがあると思っていた」 敵としてヴィッセルを見てきたからこそ、潜在能力の高さを感じてきたのか。夏場の移籍市場で横浜F・マリノスから完全移籍で加入し、ゴールマウスを守ってきた飯倉は、ビジャの引退表明の直後からチーム内に生じた変化を、表情を綻ばせながらこう表現していた。 「タイトルは誰でもほしい。そのうえで、タイトル獲得へ向かって気持ちがひとつになるきっかけを、ダビが与えてくれた気がする。自分たちのため、ヴィッセル神戸というクラブのため、そして何よりもダビのために頑張りたいという思いがいまのチームのなかにはある。ダビ自身が意図して言ったのかどうかはわからないけど、現役引退という選手にとって一番大事な決断を介して、チーム全員の結束力を高めて、ベクトルを自然と同じ方向へ向かわせてくれたと思っています」 今シーズンだけで監督交代が2度も数えるなど、スペイン代表とFCバルセロナで一時代を築きあげた稀代の司令塔、アンドレス・イニエスタを擁しながらもヴィッセルは苦戦を余儀なくされてきた。視界が良好になりはじめたきっかけは、6月に就任したフィンク監督の存在だった。 戦術が少しずつ整理されたところへ、飯倉だけでなく元日本代表DF酒井高徳、元バルセロナでベルギー代表でもあるDFトーマス・フェルマーレンが加入。[3-5-2]システムのもとで課題だった守備も安定し、最終ラインからしっかりとパスを繋いでゴールを目指すスタイルも浸透してきた。 リーグ戦では川崎フロンターレ、そして天皇杯決勝で対峙することになるアントラーズを撃破。右肩上がりの軌跡を描き始めたタイミングで、コンディション維持や練習へ臨む姿勢でプロフェッショナルな背中を介して、信頼感を寄せられてきたビジャの引退表明が選手たちのハートに火をつけた。 「私のキャリアは今日で終わるけど、クリスマスというシーズンを天皇杯のために使ったので、いまから家族のために多くの時間を捧げたい。神戸でかけがえのない時間を過ごしたアンドレスは寂しくなると思うけど、これからも私たちの関係は続くと思っています」 自身をヴィッセルへ誘い、日本での生活に適応するようにサポートしてくれたスペイン代表およびバルセロナ時代の盟友イニエスタへの感謝の思いを、優勝の余韻が色濃く残る新国立競技場の取材エリアでビジャは表した。イニエスタも笑顔を浮かべながら、大団円を心の底から喜ぶ。 「いい形で彼の最後を終えられたことを本当に喜んでいるし、チームにとっても自分にとっても本当に幸せな一日になったと思う」 阪神淡路大震災が発生した1995年1月17日に、神戸市内で始動してから四半世紀。2004年からいま現在の経営体制に移ったヴィッセルが、日本で引退を選んだレジェンドを最高の形で第2の人生へ送り出し、置き土産となるクラブ史上初のACL出場権を手にして新たな戦いへと挑む。 (文責・藤江直人/スポーツライター)