「悔しかったけど…こんな面白い試合ある?って」石川祐希も山本智大もブランも信頼した“おじいちゃん”深津旭弘が37歳で味わった最高の試合
「おじいちゃん」と慕われる37歳
その点で深津の最大の武器はコミュニケーション力である。人との距離を縮めるのが上手く、チーム最年長の37歳だが、歳の離れた選手にとっても近づき難さはない。 リベロの山本智大(大阪ブルテオン)は愛着を込めて「おじいちゃん」と呼び、13歳年下の大塚達宣(ミラノ)も、じゃれあいながら遠慮なく深津のお尻をひっぱたく。 関田は深津についてこう話していた。 「明るくて接しやすい人なんで、いろいろ話していますね。お互い何かあれば話すって感じです。結構人のことをよく見ているというか、観察していると思いますよ。僕も『こうやってるっしょ』みたいに言われることがあるので、やっぱり見られているなって」 37歳で初めてたどり着いた五輪の舞台でも、冷静に周りを見て、いつもと違うチームの雰囲気を察していた。 「『あれ? 今までこんなことなかったのにな』というミスだったり、チグハグなことが事前合宿から起きていて、『ちょっと違うな』という感じはありました。プレッシャーみたいなものは多少なりとも全員が感じていたんじゃないでしょうか。その中で、自分がこのチームでやれることは常にやろう、ベストを尽くそうということはずっと意識していました。みんなそうでしたけどね」 二枚替えで出る準備を常に怠らず、コート外でも気を配った。
「アキさん、明日練習行く?」
辛くも決勝トーナメント進出を決めた予選ラウンド最終戦のアメリカ戦のあと、深津は主将の石川祐希(ペルージャ)に声をかけられた。 「アキさん、明日練習行く?」 石川は不調でアメリカ戦は途中交代していた。次の準々決勝まで中2日あり、翌日の練習は自由参加だった。通常は出場機会の少なかった選手だけが参加するが、その時は石川も参加を希望した。深津はこう振り返る。 「『俺も行きます! 』って意気込んでいましたね。彼なりに変えたかったり、確認したかったものがあったと思うし、ちょっとスッキリしたい部分もあったんじゃないですか。『ちょっとトス上げてください』『あ、いいよ』という会話をしました。関田は休むので、僕が行かなかったらトスを上げる人がいないから」 翌日は石川に20本ほどトスを上げた。 練習会場への行き帰りのバスの中では、石川が打ち明けた想いにじっくりと耳を傾けた。その時間も石川にとっては大きかったことだろう。 「今自分はこう思ってるとか、『みんなはたぶん俺のことをこう思ってる』というあいつなりの分析とか、いろいろ話していました。プレッシャーを感じていたと思うし、考えすぎていた部分もあったと思う。移動時間は結構長かったので、いろいろ話して、僕にとっては面白い時間でした。 石川ちょっと調子悪いな、と大半の人は思っていただろうし、苦しんでいました。もやもやした部分もあったと思う。でも、どこかで上がってくるんじゃねえかなって感じはしていましたけどね、彼なら。決勝トーナメントに上がったら、どうせいつも通りやるんじゃないかなって」 その2日後の準々決勝イタリア戦、石川は見事な復活を遂げた。 日本はイタリアから第1、2セットを連取し、第3セットも終盤抜け出し24-21とマッチポイントを握ったが……そこから逆転されて第3セットを失うと、第4、5セットもデュースの接戦の末に落とし、逆転負けを喫した。
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