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阪急ファン驚く西武鉄道沿線のライトな客層

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日刊スポーツ

<鉄道と野球 西武鉄道(6)> 紀行作家の田中正恭さん(64)は、鉄道ファンにしてプロ野球ファン。「プロ野球と鉄道」の著書もある。かつては応援団に所属する熱烈な阪急ブレーブスファンだった。 【写真】西武球場前発着の臨時電車が組み込まれたダイヤグラム そんな田中さんが初めて西武球場を訪れたのは、1979年(昭54)4月17日。この年、球界に新規参入した西武ライオンズの本拠2カード目、対阪急のナイターだった。 都市型の球場が主流だったプロ野球にあって、狭山丘陵の自然に囲まれた新球場は斬新だった。だが、東京から小1時間。球場に吹く風は、4月も半ばだというのに、まだ春浅い季節のそれだった。「よくこんな奥地に造ったな。やっていけるのか」と田中さんは思った。 プロ野球草創期、鉄道会社は、沿線開発や事業多角化、本業との相乗効果をもくろんで球界に参入した。しかし、そのビジネスモデルは70年代後半には、阪神タイガースを除き、すでに行き詰まっていた。巨人中心の球界の構図も固まり、パ・リーグでは、ターミナル駅至近の球場でも閑散としていた。池袋から38分、新宿から48分(ともに当時)かかる埼玉県所沢市の球場に、客など来るのか。田中さんならずとも懸念するのは当然だった。 しかし、西武球団の堤義明オーナーは強気だった。シーズン開幕前、野球専門誌のインタビューで球場の立地の悪さを問われて、こんなことを話している。 所沢の商圏人口は「30分圏内に1000万人」で、一方を海が遮る横浜より大きい。「(所沢には)日曜は花見に20万人、平日でも2万人」。だから「2万人、3万人集めることは簡単」。隣接するゴルフ場を「ピクニック・ランドみたいな形」にして、一帯に平日でも20万人を呼び込む。 新球団の目新しさもあったのだろう。休日ともなれば、西武球場は超満員に膨れあがった。だが、阪急側で応援する田中さんが驚いたのは、観客の数だけではなかった。 パの試合にわざわざやってくるのは、よほどの物好きか野球通、ガラは悪いが熱心なファンが主だった。ところが西武球場には、青いライオンズのキャップをかぶった子供たちや家族連れが詰めかけている。子供たちはスタンドを走り回り、家族連れは試合途中であっさり帰って行く。コアなファンが半ばバカにしていたライトな層が、レジャー感覚で来ていた。ビジター球場の西武ファンはいつもの顔ぶれだったから、西武球場の光景は明らかに異質だった。 ナイターの後、電車に乗り込んだ乗客は、所沢、ひばりケ丘と徐々に減って、終点の池袋に着くころには、まばらになっていた。観客の多くが沿線住民なのだ。沿線のライトなファンを動員して球場を埋める。プロ野球と鉄道の原点のような関係が、むしろ新しかった。79年、西武の観客動員は前年比約1・8倍、リーグトップの136万5000人を記録した。 今、パの人気はセに迫り、球場には子供や女性、家族連れの姿も珍しくない。「79年の西武は、時代を先取りしていたのかもしれません」と田中さん。応援団員として通った西武球場。仕事を片付けて、飛び乗るのは、いつも池袋駅18時10分発、西武球場前行き急行電車。都会から住宅街、武蔵野の自然へと流れる車窓の風景を、田中さんは今も時々、思い出すという。(つづく) 【秋山惣一郎】

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