日本初の春画展開催へ 春画は「わいせつ」か「芸術」か?
国内では長らく「ポルノ」扱い
春画は海外では高く評価され、積極的に展示がされてきましたが、国内においては江戸時代のポルノグラフィという固定観念があり、公に出すことは長らくタブー視されてきました。しかし、現在では多くの無修正の春画が、出版物として普通に販売されています。自主規制が「解禁」されたのは、1991年に学習研究社が「浮世絵秘蔵名品集」を出してからです。わいせつ物頒布罪(刑法175条1項)に触れるリスクはありましたが、出版後も刑事上問題とされることはなかったため、その後は多くの春画がオープンにされるようになりました。 もちろん、当時、春画にポルノグラフィとしての面が全くなかったというわけではありませんが、そのような面だけを強調することは誤った理解だといえます。春画は、大名や旗本など位の高い家で、なんと嫁入り道具とされていたものでもあったのです。 「春画展」を行う永青文庫の三宅秀和学芸課長は、次のように語ります。 「前近代では、家の存続すなわち子孫繁栄ということが最も重要でした。その子孫繁栄に不可欠なのが、男女の営みなわけです。嫁がせる側は、絵描きに発注して春画をわざわざ書かせ、子孫繁栄の象徴としての嫁入り道具として持たせていました。地位の高さに応じて、それぞれ高名な浮世絵師に依頼することになりますから、当然、大名などが発注した春画の中には、質の高い絵の具を使った肉筆による、浮世絵として極めてクオリティの高い作品が存在します」 明治時代に欧米化が進み、キリスト教的倫理観が持ち込まれる前までは、日本において性は全くタブーではなく、実にあっけらかんとしたものだったようです。
また、春画は勝絵(かちえ)として合戦に勝ち、生き残るためのお守りとして考えられてもいました。戦場に向かう際、武将の鎧櫃(よろいびつ)の中に入れられ、持っていかれたこともあったのです。 「当時、春画は『生きる』ということに対する根源的な力を象徴したものと考えられていたのだと思います。本当にいいものを見てもらわないと、『春画は単なるポルノグラフィ』という誤解された固定観念は払拭できません。芸術の価値は、社会的に支持をいただけることが大切だと思いますので、この度開催される春画展では、誰が見てもこれはアートだと思っていただける極上の作品をご紹介します」(三宅氏) 「わいせつ」概念は、時代によってその中身も変わります。以前は「わいせつ」と考えられていたものであっても、社会の価値観に変化が起きれば、高い芸術的価値が認められるようになるということはあり得ます。過度に「わいせつ」にあたることを恐れ、表現すること自体が難しくなってしまうのは、妥当とはいえないでしょう。ポルノとアートの境界線は、難しい問題ですが、鑑賞者が自分自身の目で見て判断する機会を作ることは、大切にしたいものです。 (ライター・関田真也)