Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

鎌倉時代から続く“丁稚奉公制度”を壊した「書店ストライキ」は時代の転機だった

配信

文春オンライン

「全力をもってこれに集注せば大きな栄光の冠を得んこと難からず」

「暖簾分け」の年功処遇も行われた。プラス面を言えば、店は学校の役割も果たしていた。ただし、実際には雇い主がいろいろな理由で“間引き”をするため、丁稚から暖簾分け待遇までになったのは100人中3~5人、多くても1割だったという。 「商家丁稚の学校」などといった「小僧」に読み書きを教える本や、「小僧の使い方」に関する「指導本」も明治時代から出ていた。「通俗小僧学問」「新小僧読本 成功秘訣」……。1903年に出版された山本邦之助「理想的会社員」にはこんなことが書かれている。「小僧のごとき下級の者にても、一定の目的を定め、全力をもってこれに集注せば大きな栄光の冠を得んこと難からず」。当時の「小僧」に対する視線がうかがえる。 「三越小僧読本」は明治末年、当時の三越百貨店が作成した「商人の心得」と「接客の心得」を集約した指南書。「三越の小僧にして三越の趣旨を知らざるは『論語読みの論語知らず』なり。三越の小僧にして三越の御客本位をのみ込まざるは『食えども味わい知らず』なり。三越の小僧にして三越の品位を保たず、陰ひなたをなすは『頭隠して尻隠さず』なり」の3項目を第1条とする全10カ条で、大正時代以降は大学卒社員の教育にも活用されたという。  青野豊作「『三越小僧読本』の知恵」は「深い意味が盛り込まれており、現代のように変化が激しく、かつ商戦が熾烈を極める時代においてこそ、知っておきたい」と言う。

丁稚制度が崩壊していく前触れであった

「小僧」は文化や流行の担い手でもあった。  例えば、昭和初年、日本一の盛り場だった東京・浅草の映画や舞台。「銀座、新宿の客と異なり、ここ(浅草)に集まる者にはセーラアパンツのモボ、フラツパーのモガ姿はあまり見られず、その代わりにハンチングの学生、前垂れの小僧さん、店員、職人、下町商人の娘さんといったところが半数以上を占めている」と1929年に出版された今和次郎編纂「新版大東京案内」は書いている。  しかし、そうした時代も、このストライキあたりを境に変わっていく。それ以前の明治末期から、大企業では会社の組織や規模が大きくなって管理者や専門家の必要性が増大。大学卒業者の採用が始まっており、それが徐々に規模の小さい会社にも広がりつつあった。 「この小僧さんストは明治、大正を通じて残存していた封建的雇用形態――丁稚制度が崩壊していく前触れであった」「こうしたシステムは昭和初期からおいおい崩壊期に入り、戦時色が濃くなって軍需景気が高まり、青少年が軍需産業に吸収されるにつれて、みるみる消滅をしていくのである」(「素顔の昭和戦前」)。  ストライキ劇は「小僧の挽歌」だったのかもしれない。 【参考文献】 ▽「新明解国語辞典第6版」 三省堂 2005年 ▽小林勇「惜櫟荘主人 一つの岩波茂雄伝」 岩波書店 1963年 ▽安倍能成「岩波茂雄伝」 岩波書店 1957年 ▽紅野謙介「物語岩波書店百年史」 岩波書店 2013年 ▽村上一郎「岩波茂雄と出版文化」 講談社学術文庫 2013年 ▽戸川猪左武「素顔の昭和戦前」 角川文庫 1981年 ▽竹内洋「立身出世主義」 NHKライブラリー 1997年 ▽青野豊作「『三越小僧読本』の知恵」 講談社 1988年 ▽今和次郎編纂「新版大東京案内」 中央公論社 1929年

小池 新

【関連記事】