コロナ禍、エジプトのナイル川クルーズどうなった? 外国人が姿を消した、産業革命以来の観光地
新型コロナウイルスの感染が世界的に広がった昨年3月、エジプトの「ナイル川クルーズ」に参加し日本に帰国後、感染が確認される人が相次いだ。古代エジプトの遺跡をゆっくり楽しめる世界的な観光手段だったが、エジプトもコロナ禍で一時国境を封鎖した。ナイル川クルーズは英国の産業革命で生まれ、100年以上の歴史を誇る「近代観光史」の象徴。世界の観光地の中でも老舗ツアーといえる。各地の名所旧跡がコロナ禍に苦しむ中、ナイル川クルーズはいま、どうなっているのだろうか。(共同通信=高山裕康) ▽アガサ・クリスティ小説の舞台 スーダン国境に近いエジプト南部アスワン。真冬なのに夏のように暑い。青いナイル川の上を、動くホテルのようなクルーズ船「青い影号」がするすると滑るように移動していた。「乗客は27人で船室の約8割が空室だ」と昨年12月、営業責任者ハニー・ナスリさん(48)はぼやいた。デッキの上のベンチにはひなたぼっこする客がわずかにいるだけ。
「以前は欧米客らでほとんど満室だったが、今はほとんどがエジプト人客だ」とナスリさん。川岸には停泊したままのクルーズ船がいくつも並んでいた。ナイル川には大小約300のクルーズ船があるが、この段階での運航は15隻だけという。全体像ははっきりしないが、クルーズ船のスタッフは計1万2千人ほどとみられ、雇用の維持も懸念されている。 古代遺跡が点在するエジプトのナイル川を大型客船に寝泊まりして移動するナイルクルーズは、王家の谷がある南部ルクソールと、アブシンベル大神殿がある南部アスワンを4泊5日間で結ぶ旅が一般的だ。その歴史は英国の実業家トーマス・クックにさかのぼる。「近代観光の祖」と呼ばれたクックは19世紀、産業革命の経済成長や蒸気船開発を背景にキリスト教の聖地パレスチナのツアーなどを次々と立ち上げた。当時の英国人にとって、英国の影響下にあったエジプトは、日本人にとってハワイのような「常夏の地」だが、貧しく快適な旅行が難しかった。そこで宿泊できる船を使い、古代エジプト人同様にナイル川を移動する旅が欧米富裕層のブームになった。ミステリーの女王アガサ・クリスティの小説「ナイルに死す」(1937年)の舞台にも取り上げられている。