「心配の時代」に響く『インサイド・ヘッド2』。監督とプロデューサーに聞く歴代最高ヒットの理由
自意識や信念はどんなかたち? 感情と意志の関係性とは?
―「抑圧」や「否認」といった言葉がせりふのなかにも出てくるように、本作が扱うのは本格的な心理学の世界です。目には見えない「心」の動きをビジュアル化する上で、どのような課題がありましたか。 ニールセン:最大のチャレンジは「ジブンラシサ」の花(筆者注:原語ではThe sense of self=自意識)でした。自意識はどんな見た目をしていて、欠点があるときや、あるいは健全かつ健康なときはどのように見えるのかを考える必要があったんです。 映画には「ヨロコビ」と「シンパイ」のバージョン、そしてあと1種類を含む、3つの「ジブンラシサ」の花が登場します。いかにそれらをスクリーン上で表現すべきかと、アート&デザインのチーム、また技術チームと協力しながら、製作期間の大半を費やして検討しました。 マン:『インサイド・ヘッド』の世界で遊ぶことには、楽しさもあれば大きな困難もあります。それは「どのようにでも描ける」からで、前作の「思い出」にせよ、今回の「ジブンラシサ」の花や「信念の泉」にせよ、複雑なアイデアを取り入れたときでさえ、それらをどのように描いてもいいんです。 しかし、そうすると「いったいどこから手をつければいいんだ?」と思うんですよね(笑)。自意識や信念とはどのようなものか、とにかく試行錯誤を繰り返しました。前作の挑戦を発展させることができて嬉しいです。 ―主人公のライリーは、ヨロコビやカナシミ、シンパイといった感情に突き動かされて行動しているように見えます。神経伝達物質が人間を動かしているのだとしたら、彼女の自由意志はどこにあるのでしょうか。感情と意志の関係をどのように考えましたか? マン:まさに、そのポイントは私たちがよく話し合ったことでした。結論から言えば、「司令部の操作盤はライリーに感情を抱かせるものであって、彼女をコントロールするものではない」ということです。 ライリーは決して操り人形ではありません。たとえば怒りを感じたとき、その感情にどう対処するかは彼女が決めること。怒鳴るにせよ、そうでないにせよ、行動は彼女の決断によるものであって、怒りの感情が「こう動け」と告げることはないんです。その原則はアニメーターやチーム全体にもきちんと伝えていました。 ニールセン:専門家の助言も私たちの理解を深めてくれました。人間の感情は、その時々の感じ方や行動に「一票」を投じるものですが、それは数あるうちの一票であるべき。頭のなかに取締役会があるとしたら、そのうちの一席であり、決定票ではないはずです。 マン:劇中には良い例があり、ヨロコビやシンパイが司令部の操作盤からアイデアを入力したあとには、ライリーがそれを受け入れるかどうかの短い間があります。その短い間によってライリーの自由意志を表現しようと考えました。 あくまでも操作盤はライリーに何かを感じさせるものにすぎず、決定するのは彼女自身。前作でピート・ドクターが描いたことを、私たちはただ引き継いだだけだとも言えると思います。