Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

ラフィット・ロスチャイルド:ジャーナリストからラフィット当主へ──ベスト・ワインをめぐる冒険

配信

GQ JAPAN

ボルドー5大シャトー=ファースト・グロウス(1級格付け)のなかの「ファースト」がラフィット・ロスチャイルドだ。そこに32歳の当主が出現した。そして、それは女性だ。 【写真を見る】鈴木正文のボルドー紀行

劇場空間としてのセラー

円形闘技場に迷い込んだか、と一瞬、錯覚しかけた。1987年にバルセロナの建築家、リカルド・ボフィルの設計のもとに完成したというそこは、コロッセオでもギリシャ劇場でもなくて、樽詰めワインの熟成セラーだった。相撲の土俵のような中央の円形ステージを十数本の円柱が囲み、さらにその周囲を無数の熟成樽が、さながらグラディエーターの剣闘を注視する観衆のように取り巻いている。「闘技場? それとも劇場?」と、隣のサスキア・ド・ロスチャイルドさんに訊く。 「アイディアはそれね。父は熟成セラーを農業的な空間ではなく建築的な空間にすることを企んだ、といってました」 2018年4月に父親のバロン・エリック・ド・ロスチャイルドを継いでラフィットの当主となった32歳のかの女は、癖のないきれいな英語で話す。ボルドー1級の5大シャトーでもっとも若い当主であり、ラフィットはじめ3大陸に8つのワイナリーを傘下に収めるワイン帝国、ドメーヌ・バロン・ド・ロスチャイルド[ラフィット]社が迎えた初めての女性CEOである。 時にコンサートを開いてワインに音楽を聴かせることもするというそこで、僕たちは2004年のラフィットを試飲した。グッド・ヴィンテージのそれは、タバコのように深く、またスギのように清涼な香りを交錯させて僕に軽い眩暈を覚えさせ、舌の上ではやわらかに溶けたタンニンが、優雅な身のこなしで舞うバレリーナのように、やさしく感情を慰撫するのだった。サスキアさんは、「フレッシュで深い香りだわ、そして口の中ではスーパーライト」と、本質的には僕とおなじ印象をはるかに簡潔に、ビジネスライクに語った。

ニューヨーク・タイムズ紙記者

迷いのない明快な語り口は、かの女に一貫している。たとえば、ラフィットの約100ヘクタールのヴィンヤードのうち13ヘクタールを、2017年からビオディナミ農法による栽培地にあてている、といったとき、サスキアさんは同時に、その13ヘクタールは、1850年にラフィットが買収するまでは別のワイナリーが所有していたヴィンヤードのものだった「プラトー・ド・カリュアド」(カリュアド台地)なる場所にあり、この台地がラフィットのセカンド・ラベルの「カリュアド・ド・ラフィット」の名称の由来であることも明らかにするのだ。ひとつの事実の説明に多くの関連情報をたくみにふくめる語り口は、鮮やかというほかない。 ラフィットがどういうワインかの説明も見事だった。まずはジロンド川流域に位置するおかげで風通しがよく、土壌は分厚い砂礫層に恵まれているために撥水性抜群で、日中に捕捉した熱を夜間に放出して厳しい自然の威力をやわらげる、と前置きしたうえで、2018年のワインをこう説明するのだった。 「猛暑の年でしたが、ラフィットはそんな年にでさえ、太陽の熱を表現するワインにはなりません。アルコール度数を13.3度に抑えることができたのは、自然の猛威をものともせずに受け止める包容力ゆたかな土壌のおかげです。この土壌は、気候変動の時代に、ラフィットのアイデンティを担保する最善の手段としての役割を果たすでしょう」と、すでに用意ずみの文章を読んでいるかのように整然と話す。 フランスのビジネス・スクールの名門中の名門であるパリの「HEC経営大学院」でMBAを取得したかの女は、「小さいころから作家になりたかった、物語を書きたかった」という夢をかなえるために、ニューヨークのコロンビア大学ジャーナリズム大学院でもマスターの学位をとり、ニューヨーク・タイムズ紙記者として2010年から2015年まで活動する。そのかん、アフガニスタン、エチオピア、アルゼンチン、インドなどに住み、2016年にラフィットにジョインする直前には、ニューヨーク・タイムズ紙の西アフリカ支局員としてコート・ジヴォワールのアビジャンに駐在して、刑務所で起きた囚人人質事件の調査報道に当たっていたという。 ジャーナリストのキャリアを諦めたときはどうでした、と訊く。「かんたんではなかった。コート・ジヴォワールでは、〈アフリカ開発機構〉の仕事をしていたかれとの生活もあったし。でも、ワインが好きで、20歳のころからは毎年、夏にはシャトー・レヴァンジルで畑の仕事をしたり、冬にはブレンディングを教わったりしてボルドーには深い愛着があったのです。それで父とよく話し合って、ヴィティカルチュア(ブドウ栽培・醸造学)を学ぶためにコート・ジヴォワールを引き揚げたわけです」 もちろん、アフリカ開発機構に勤めていたかれとは別れて。 かくして、自他ともに認めるボルドー・シャトーのトップ・オブ・トップは、ミレニアル世代の女性当主を戴くにいたった。歴史の歯車がガタリと大きく動いたのである。

【関連記事】