「非合法ギャンブルで一晩2000万円を溶かし…」日本プロレスから追放された“伝説のレスラー”豊登とは何者か?「“親方と不仲説”…23歳で相撲界から消えた」
5月末に刊行した拙著『力道山未亡人』(小学館)では、主人公・田中敬子の周辺人物として、複数の著名なプロレスラーが登場する。亡夫である力道山光浩はもちろん、弟子であるアントニオ猪木、アパートのオーナーと住人の間柄にあったジャイアント馬場、亡夫と先妻との間の子である百田義浩と光雄の兄弟、敬子との約束を反古にしながら、窮地に立たされると助力を乞うてきた芳の里淳三、遠藤幸吉ら日本プロレスの幹部……。 【貴重写真】「39歳で急死する半年前…」力道山の幸せそうな結婚式&“伝説のレスラー”豊登のレアな力士時代、「血を流す」力道山とのタッグマッチまですべて見る(25枚超) そんな中、際立って存在感を発揮するのが、力道山の死後、日本プロレス第2代社長に就任した敬子未亡人から社長の座を譲渡され、第3代社長の椅子に座りながら、ギャンブル狂の放漫経営の末に、日本プロレスから追放された豊登道春である。 活字に起こすと、多くの読者から不興を買うことになるのは、必然かもしれないが、意外なことに田中敬子自身は「酷い目に遭ったとは思うけど、不思議なことに、豊登さんには、そんなに悪い記憶がない」と振り返る。加えて、筆者がこれまで会ってきた複数の関係者も「トヨさんはどこか憎めない人だった」「こういう閉塞した時代だからこそ、あんな快男児にまた会いたい」と異口同音に言う。 そのニーズはファンにも浸透していたかもしれず、プロレス通として知られるミュージシャンの桑田佳祐は、1983年に友人である小林克也が率いるザ・ナンバーワン・バンドに『プロレスを10倍楽しく見る方法/今でも豊登を愛しています』(アルバム『東京あたり』収録)を提供するなど「豊登」というネーミングは、現役を離れてからも一定の存在感を示してきた。 豊登とは一体何者なのか、日本のプロレスに何をもたらしたのか、何故そこまでの人気スターでありながら、早々に表舞台から姿を消したのか。ある意味において、力道山以上に数奇な彼の生涯を追ってみたい。【全3回の前編/中編、後編も公開中】 ◆◆◆
「60kg×3つ=180kg」怪力エピソード
豊登こと本名・定野道春は1931年3月21日、福岡県田川郡金田村(現・田川郡福智町)に生まれた。山地で育ったせいか海への憧れが異常に強く、将来の夢は海軍軍人。「大好きな船に乗って、好きなだけ飯が食える」と日夜願う、どこにでもいる九州の少年だった。 14歳を迎えた1945年、福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)の日本製鉄の海員養成所に入所、三等機関士の資格を取得し、正式に海軍志願の手続きを取るが程なく終戦。その後は、八幡製鉄が募集した「曳き舟」に乗り、機関室で働く。その一方、荷揚げの仕事を通じて自らに並外れた怪力があることを自覚する。この時期、約60kgの米俵を3つ担いだという逸話もある。 終戦から2年経った1947年春、小倉に横綱・羽黒山一行の巡業が来た。後援会の会員に連れられ、16歳の定野少年も顔を出すと、体格の良さを見込まれその場で入門が決まる。3カ月後の大相撲夏場所で「定野」の四股名で新序ノ口として初土俵を踏み、3勝2敗の成績を残している。余談になるが、この夏場所で東前頭8枚目ながら9勝1敗の好成績で準優勝に輝いたのが、のちに切っても切り離せない仲となる力道山である。 東序ノ口5枚目で迎えた秋場所で3勝3敗の成績を残すと、序二段に昇進。「定野」の四股名が初めて活字で確認されるのは、1948年5月14日付の日刊スポーツで、東序二段18枚目で迎えた夏場所の初日に、播磨山に敗れている。それでも、夏場所は4勝2敗、西序二段3枚目で迎えた秋場所も4勝2敗と二場所連続で勝ち越し三段目に昇進。故郷の金田村にちなみ「金田山」と改名して迎えた1949年の春場所は9勝3敗で、あっさり幕下に昇進。西の幕下20枚目で迎えた夏場所も9勝6敗と勝ち越し、四股名を長くファンに愛されることになる「豊登」と改名している。 ちなみに、この夏場所においてトピックとして報じられたのが、肺ジストマを患いながら休場することなく土俵に上がり続け、3勝12敗で大きく負け越した力道山についてである。拙著『力道山未亡人』でも詳述したが、このときの治療費で散財した力道山は「治療費の請求云々」で師匠の二所ノ関親方と仲がこじれ、そこから「力士廃業→プロレス転向」まで発展したことを思うと、この件と、何ら関係のない豊登の人生まで大きく巻き込まれることになったのは、どことなく因果めいている。
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