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高校No.1投手が慶応不合格 プロ志望表明でドラフトに異変

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NEWS ポストセブン

 10月26日のプロ野球「ドラフト会議」を前に各球団が揺れている。大学進学確実と見られていた高校ナンバーワン投手が、突如として“ドラフトの目玉”に躍り出たからだ。 【写真】3階建ほどの高さの石のアーチに石造りのペンマークを掲げた赤レンガ調の慶應大東館

 愛知・中京大中京の高橋宏斗が慶応大学環境情報学部のAO入試に落ちた──。そのニュースが駆け巡ったのは、合格発表のあった10月6日の夕刻だった。  高橋といえば、昨秋の神宮大会優勝投手にして世代ナンバーワン評価の154キロ右腕。プロ志望を表明すればドラフト会議での競合は必至と目されていた。だが、早い段階から兄も通った慶応への進学が囁かれていた。 「(元巨人の)江川卓以来の衝撃です」。第一報を受け、驚きと動揺のコメントを残したのはある強豪校の監督だ。栃木・作新学院のエースとして1973年の春と夏の甲子園に出場した江川は、同年のドラフトで阪急から1位指名を受けたが拒否し、慶応の3学部を受験。ところがいずれも不合格となり、法政大へと進路を改めた経緯がある。  江川は1978年の「空白の一日」によって巨人入りを果たすが、一連の混乱の端緒となったのが、「慶応受験失敗」だったという見方もできる。

他の有望球児も落ちた

 当時はAO入試が慶応にはなかったため、高橋のケースと比較することはできない。しかし、今回の件が「江川以上の衝撃」となったのは、一緒に受験した神奈川の超名門の遊撃手や、東北を代表する左腕までもが、同じく不合格となったからだ。前述の監督が続ける。 「知る限り、慶応の野球部から声がかかった8人のうち6人が不合格となった。他のふたりの合否は確認できていません」  9か月も前から受験の準備をしてきたという高橋にしてみれば、青天の霹靂だったに違いない。高橋は記者会見を開き、一転してプロ志望届を提出することを明かした。

 新型コロナウイルスの影響で、今年はプロ志望届の提出期間が例年より長く設けられた。また慶応も面接試験がなくなり合格発表が早まった。その結果、不合格後の志望届提出が可能となり、奇しくも「慶応の滑り止めでプロ入り」という形になった。高橋は言った。 「落ち込んでいても何も変わらない。しっかり次の目標に向かいたい。12球団どこでもOKです」  プロ入りを希望しながら指名されずに進学・社会人入りを決めた球児は数多く見てきたが、その「逆」は前代未聞だ。  翌10月7日、私は早稲田大のグラウンドで、小宮山悟監督(元千葉ロッテほか)と話す機会があった。ライバルである慶応を受験した大半の球児が不合格になった可能性を告げると、「えっ、ほんと?」と絶句し、こう話した。 「驚いています。これは六大学野球にとって大きな損失ですね。慶応の体育会に逆風が吹いている。しかし、だからといってすぐにプロ志望届を出すというのも、それぐらいの情熱しかなかったから、ダメだったんじゃないかと見られても仕方ない」  早稲田に憧れ、早稲田にこだわり、2浪の末に合格した男の言葉は重い。  慶応は伝統的に運動能力にだけ長けた高校生を積極的には受け入れてこなかった。特待生もゼロで甲子園のスターであっても、合格の保障はない。  今回の結果も、「慶応らしい」といえばそれまでだが、野球部から声のかかった球児は他の進路を絶っており、早い球児となれば1年前から「慶応一本」に絞ってAO入試に備えてきたのだから無情にも思えてしまう。  慶応のAO入試は、募集要項だけでも36頁におよび、提出書類も複雑だ。志願者は志望理由や入学後の学習計画、自身の活動の資料──たとえば、球児なら掲載された新聞記事やボランティア活動の書類などを提出する。

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