<CGポルノ裁判>「児童ポルノ」の考え方は 芸術ならわいせつじゃない?
芸術性があれば児童ポルノではない?
――猥褻罪の場合、芸術性も論点になることが多いと思います。児童ポルノと芸術ではどうでしょうか? 刑法175条(猥褻物配布等の罪)の伝統的なテーゼとして、「芸術性があれば性的刺激が緩和され、猥褻ではなくなる」という発想があります。そして、この発想が、児童ポルノにも持ち込まれています。ただし、児童ポルノにおいて要求される性欲を含む興奮の刺激は、猥褻罪に比べると弱いものでもよいと解されています。 実は当該事件においても、裁判官は検察官に、「175条についても訴因として追加するつもりはあるか」と尋ねたところ、検察側は「ありません」とはっきり言っていました。つまり、成人であれば猥褻罪でないものでも、被写体が18歳未満だと児童ポルノになってしまうことはあり得るのです。このように児童ポルノは、要求される性的興奮の度合いがかなり低いので、なかなか芸術性によって児童ポルノとは言えないレベルまで緩和されにくいのかもしれません。芸術性があるがゆえに児童ポルノではないという判決はない筈です。 児童ポルノについての性欲、もしくは興奮刺激させるという要件はほとんど形骸化しています。猥褻罪は一般人を基準にしていますが、児童ポルノでは、同様に一般人を基準にした判断であるにもかかわらず、裁判所は、例え1歳2歳の画像でも対象としています。1歳2歳の幼児の全裸で、いやらしいポーズを取らせても、普通の人は痛々しいとか思うだけで、エロいとは思わないでしょう。 しかし、性欲興奮を基準に持ち込んだがゆえのジレンマだと思うのですが、一般人を基準に性欲を刺激するか否かで判断すると、より保護性が必要な小さな子供の児童ポルノを取り締まれなくなります。一般人を興奮させうるレベルの児童ポルノは被写体が思春期以降ではないでしょうか? 今回の判決では、CGについて、性的刺激を緩和するほどの思想性、芸術性は認められませんでしたが、この点についても控訴審で徹底的に争う予定です。