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何度でも繰り返し見ることができる奇跡的なDVDを、片岡義男の書下ろしエッセイによって教えられた。

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『ザ・ビートルズ ザ・ファースト U.S. ヴィジット』は、エド・サリヴァン・ショーに出演するために初めてアメリカを訪れた1964年2月7日から、すべてのスケジュールを終えてイングランドに帰国するまで、およそ2週間にわたって密着取材した記録映像によるドキュメンタリー作品だ。 【連載】佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」 vol.146 驚異の視聴率72%を打ち立てた2月9日放送のエド・サリヴァン・ショーはもちろん、アメリカでの記念すべき初コンサートになった2月11日のワシントンDCのコロシアム公演での模様や、ホテルでのオフショット、移動中の列車で出会った子どもとの会話などを、50数年という歳月を飛び越えて、そのまま現在に伝えてくれる貴重なDVDである。 撮影時から半世紀以上の歳月が経っているにもかかわらず、このフィルムは時代の変遷という試練に耐えることで、今では最初の発表時にはなかった歴史的な価値を持つに至っている。 そしてこうした画期的な作品が生まれてきた背景には、奇跡的な出来事がいくつも積み重なっていたのだということを、ぼくは片岡義男の最新作『彼らを書く』という書籍で取り上げられた「さきにかねをもらわないと」というエッセイで教えてもらった。 これまでにないユニークな音楽本となった『彼らを書く』は、4月に光文社から刊行されたばかりだが、『コーヒーとドーナツ盤、 黒いニットのタイ。』と「『珈琲が呼ぶ』に続く、書き下ろし三部作の第三弾という位置づけになっていた。 ところで“彼ら”というのは、ザ・ビートルズ、 ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリーの三大アーティストである。 さっそく購入して目次を眺めると、なんとも気持ちをそそられる小見出しが、次々に目に飛び込んできた。 気になったいくつかを、以下に抜粋しておく。 <ザ・ビートルズ> ●さきにかねをもらわないと ●ご家族みんなのザ・ビートルズ ●THE BEETLESと綴られたことは何度もある ●事実の断片をつなぎ合わせると、それはひとつの美しいフィクションになる <ボブ・ディラン> ●意味のつながりなどまったくない配列の中に ●時代はとっくに変わった ●始まりの終わりの始まりの始まり ●答えを見つけることはとっくにやめたよ <エルヴィス・プレスリー> ●それは白黒シネマスコープの西部劇だった ●まったく実現しなかった、という種類の可能性 ●偶然というものはない ●ピーナツバターとバナナのサンドイッチ そして全体でも第1章に当たるビートルズの最初のエッセイが、なんとも魅力的な書き出しで始まっていた。 ぼくはこの導入部だけで一気に、片岡義男の世界に引き込まれてしまった。 クールでいながら味のある文章なので、その部分を引用したい。 一九六四年の二月七日の午後、イングランドのグラナダ・テレビジョンという会社から、メイスルズ兄弟のところに電話があったという。ザ・ビートルズの四人を乗せた飛行機があと二時間でジョン・F・ケネディ国際空港(前年まではアイドルワイルド空港)に到着するけれど、彼らの記録映画を撮影する意思はありますか、とそのテレビ会社は、電話に応対した兄のアルバートに訊ねたそうだ。アルバートはビートルズを知らなかったけれど、弟のデイヴィッドは知っていた。電話で話をまとめ、兄は手持ちの16ミリ撮影機を、サウンド・マンの弟は録音機材を肩にかけ、空港へと急いだ。空港に到着すると、ザ・ビートルズの4人を乗せた飛行機は、滑走路に着陸するところだった。 この国際電話がかかってきたときに、メイスルズ兄弟が事務所にいたことが幸運だった。 クラシック音楽が好きだった兄は、ビートルズのことを何も知らなかった。 しかし、この手の音楽に詳しかった弟が側にいて、ビートルズを知っていたことが、今にしてみれば次なる幸運だったのである。 条件を話し合って仕事を引き受けた兄弟は、依頼された通りにビートルズに密着して、至近距離での撮影を試みた。 これが幸運の連鎖が始まる、第一段階だった。 片岡義男はそのドキュメンタリー・フィルムのことを最近になって知り、DVDで見てエッセイを書くことにしたのだという。 八十一分の記録映画にまとまったこの作品には、The First U.S. Visitという題名が与えられ、おそらく一九六四年のうちには公開されたのだろう。ぼくは全く知らなかった。日本で発売されているDVDを二〇一八年に購入し、ついさきほど見た。五十五年遅れの観客だ。 ぼくもこの文章を読むまでは全く知らなかったので、すぐに発売状況を調べて、2004年に発売された国産のDVDを、5月に入ってから購入した。 そのDVDには撮影者だったアルバートにインタビューした映像や解説も、エクストラという形で収録されていたので、遅ればせながら1964年のアメリカが置かれた状況を知ることができた。 前年の11月にケネディ大統領が暗殺されたことで、しばし暗い影に覆われていた国にザ・ビートルズの音楽が届いて、少年少女たちが真っ先に反応して熱狂するようになった。 撮影した兄のアルバートが当時をを回想して、このように述べていた。 私の手にはカメラ、そしてデビットの肩の上には録音機が抱えられ、私たちはその後の四、五日間を昼夜を問わずに、あの素晴らしい4人組、リバプール出身の陽気な青年たちとともに過ごした。ホテルで、バックステージで、ステージ上で、列車の中で、そしてナイトクラブで踊っている様子まで撮影し、ビートルズの最初の映画であると同時に、ドキュメンタリー映画史においてもエポックメイキングとなる、前例のない作品が生まれたのだ。 メンバーがニューヨーク市内へと車で移動している間、私は彼らの横に座って撮影し、アメリカでの名声がビートルズにもたらした体験を共有することになった。 目の前で起こった体験をそのまま撮影して編集した作品だったからこそ、年を重ねることによって音楽文化としての付加価値が、次第に大きな意味を持ってきたこともわかった。 捏造もやらせもない、純粋なドキュメンタリーだったからこそ、強い生命力が育まれたともいえる。 その当時のアメリカで有名人に密着し、バックステージや私生活の様子を撮影したドキュメンタリーはなかった。 しかし、それこそがメイスルズ兄弟が以前から撮りたいと思っていたものだった。 そうした大胆な試みが実現できたのは、アメリカ進出を狙っていたマネージャーのブライアン・エプスタインが、間違いなく成功することを確信していたからであろう。 前年の12月にニューヨークに乗り込んだブライアンは、 雑誌「ニューヨーカー」の取材に応じて、二か月後の未来について、こんな見通しを語っていたのだ。 ビートルズはイギリスにおいて考える限りあらゆる記録を更新しました 彼らはイギリスで最も尊敬され慕われているグループです。非凡なスタイルとみるみる内に人々に伝染する素晴らしい活気を持っています。彼らは本物です。生き生きとしていて、 ユーモアがあって、風変わりですが整ったルックスで…… だがそうした言葉は記者にとって、半信半疑だったようである。 そこでブライアンは取材してくれた記者と別れる時に、あたかも予言のようにこんな言葉を付け加えたという。 「アメリカはビートルズを受け入れる体制が整っていると思います。彼らが上陸したらアメリカは圧倒されてしまいますよ」 それから二ヵ月後、その予言は見事に的中したのである。 なお「ニューヨーカー」の記事にまつわるこのエピソードは、R・コールマン著『ビートルズを作った男~ブライアンエプスタイン~』(新潮文庫 1992)に記載されていたものだ。 地元のリヴァプールでレコード店を経営していたブライアンは、キャヴァーン・クラブで彼らのライヴを見て、マネージャーに名乗り出たときから、「エルヴィス・プレスリーよりもビッグになる」と本気で信じていた。 そのことをまずイングランドとヨーロッパで1年かけて証明したのだから、次なる目標は当然アメリカということになる。 しかも起爆剤となるのはエルヴィスを一夜にして全米のスターにした、エド・サリヴァンショーでなければならなかった。 そんな夢がまさに実現しかかっていたのだから、普通ならばもっと緊張して神経質になるものだが、ブライアンは冷静だった。 DVDの中でも4人のメンバーを静かに見守りながら、つねに落ち着きはらった態度で仕事を進めていた。 アルバートがこのように述べていたことからしても、すべては幸運と奇跡が連続したことによって、自然な流れの中で順調に事態が運んでいたのだろうとの想像がついた。 誰も我々に制限を加えたりしなかった。エプスタインを含めてね。特にエプスタインなら我々の存在に非常に神経質になると思うだろうが、われわれは4人と自由に接触することができた。おそらく、われわれは4人と気が合うだろうと彼が感じていたからじゃないかと思うね。 ビートルズの4人と一緒に過ごす事は、とてもスリリングな体験だった。そしてその体験は、この映画によって永遠に残る。私のためだけでも、ビートルズのためだけでもない。 DVD化によってこの映像を見ることができるようになった何百万もの観客一人ひとりにとってもそれは言えることなのだ。 なおメイスルズ兄弟が関与した最も有名な音楽作品は、1970年のローリング・ストーンズのドキュメンタリー映画『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』である。 この作品はリアルタイムでぼくも見ていたが、あたかもその場に居合わせてしまって、殺人事件の目撃者になったような気持ちにさせられて、しばらく後遺症がきつかったことを覚えている。 それに比べると『ザ・ビートルズ ザファーストUSビジット』は、新しい時代の幕開けにビートルズの4人とともに立ち会えたことの喜びに満ちていて、何度でも繰り返し見ることができて、見るたびに何かしら新しい発見に気づく奇跡的な作品になった。 なかでもぼくが好きになったのは、有名なナイトクラブのペパーミントラウンジで、仕事が終わってくつろぎながら生バンドがR&Bの「What I Say」を演奏する中で、リンゴが踊るシーンだった。 その映像にはなんとも言われぬ幸福感が、すみずみにまで満ちていたように思えてならない。 何度でも繰り返し見ることができる奇跡的なDVDを、片岡義男の書下ろしエッセイによって教えられた。は、WHAT's IN? tokyoへ。

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