さらば!オリックス「T-岡田」 ドーム中のファンが総立ち!浪速のファンに愛された男が放った“劇弾”を振り返る
大阪生まれの大阪育ち、出身高校は大阪・履正社高。当時は高校生と大学・社会人との分離ドラフト制だった2005年、オリックスから高校生ドラフト1巡目指名を受けたのが岡田貴弘、後の登録名・T-岡田だった。【喜瀬雅則/スポーツライター】 【写真を見る】「ベンチ裏で涙が止まりませんでした」 「T-岡田」引退試合の必見シーン (前後編の前編) ***
引退するまで使い続けた「ローズモデル」のバット
文字通り、大阪が生んだ“浪速のフランチャイズ・プレーヤー”が、オリックス一筋19年の現役生活に今季限りでピリオドを打った。僭越ながら、私とT-岡田との“出会い”に触れてみたい。 「あの若者を、これからよく見ておけよ」 2009年秋。シーズン最終盤でのことだった。 当時、オリックスの主砲だったタフィー・ローズが、私に強く“推し活”してきた選手がいた。それが当時プロ4年目、本名の「岡田貴弘」でプレーしていた21歳、背番号55のT-岡田だった。 「アイツは、とんでもないバッターになるよ」 そのパワー、飛距離が、徐々に注目されていた時期ではあった。その年、プロ初本塁打を含む7本塁打。ローズはいち早く、T-岡田の潜在能力を見抜いていた。 自らのバットをプレゼントしたのは「これを振れるようになれば、ホームランをもっと打てるようになるから」という助言付き。ちなみにT-岡田は、現役引退する今季まで、若干のモデル変更はあったものの、基本的にはこの「ローズモデル」をメインに使い続けた。 そして09年オフ、オリックスの新監督に就任したのは、現阪神監督の岡田彰布だった。秋季練習の視察中、何とも満足気な顔でこうつぶやいたのを、私はその横で直接聞いた。 「おい、ええの、おるやん。オリックスにあんなええのがおるって、知らんかったわ」 その視線の先にいたのが、T-岡田だった。
「T-岡田」に改名した理由
当時の選手名鑑を引っ張り出してみると、身長1メートル86、体重93キロ。今季の公称よりも身長で1センチ、体重は7キロ小さいサイズとはいえ、打撃練習中でも、その恵まれた体躯でフルスイングした打球が、快音とともに外野スタンドへと楽々と飛び込んでいく。 岡田はチーム構想を尋ねられるたびに、若き「4番候補」として、頻繁にその名を出すことになる。私たち番記者も、岡田への取材となれば、もちろんT-岡田の話題を振る。 「岡田君のことですけど」 「えっ、岡田君って?」 こんな会話が何度か続いたある時、T-岡田の改名プランが岡田監督から発案された。 「ややこしいやん。名前、変えたらええやん」 監督自ら球団に掛け合い、公募で登録名を募集することになった。「アフロ岡田、とかどうや?」と岡田監督もアイディアを出していたのだが、これは当然ながら? 却下。 ファンからの意見を踏まえ、恐竜の「ティラノザウルス」と、名前の「貴弘」の、それぞれの頭文字「T」を戴いての「T-岡田」と決まった。 これが“ホームラン人生”の始まりだった。