3年連続最下位も野村克也氏の阪神監督は失敗ではなかった…赤字で書かれた野村メモが物語るもの
「まず肩が弱く守備に対して不安があります。バッティングに関しては、あなたが反省しているように打ち損じが多い、必要なのはフォーク対策でしょう。特にフォークを空振りした後に動揺が見られます。フォークの後に相手は、どう攻めてくる傾向があるのかを考え、何を狙っていくかを考えるべきです。狙い球を追いかけるようでは相手のペースにはまります。配球を勉強して勇気を持って狙い球を絞りなさい」 そして「配球を読んでの流し打ちを勧めます。左中間への打球を打ったときが一番美しい打撃フォームです。相手からすれば引っ張るか、流すかを読めないバッターほど嫌なものです。走者を置いた打席でそれを心掛けてみてください。あなたが打たなければチームは勝てません。好奇心を広げて見て下さい」とも書かれていた。 桧山氏は、2年後の2001年には4番を任されて打率3割をクリア。野村さんに教えられた「相手の配球を考える勇気ある読み」を結果につなげた。選手各自に返した野村メモは、具体的な技術論だけでなく人生哲学が説かれたようなものまであったという。 ヤクルトの監督9年間でリーグ優勝4度、日本一3度の実績を誇る名将、野村さんの阪神監督就任が決まったのが1998年のオフである。 野村監督と言えばID野球。チーフスコアラーとしてデータ部門の責任を負う三宅さんは「大変なことになった」と頭を抱えたという。 高田順弘球団社長からは、「野村さんが『阪神にデータは揃っているのか』と言っているようですが、うちのデータで大丈夫ですか」と心配された。三宅さんは「心配しないで下さい」と、胸を張ったものの、内心、ID野球を標榜する野村さんが、どんなデータを求めるのか不明で不安があった。 三宅さんは、阪神を退団したばかりの元ヤクルトの広沢好輝氏から「野村ミーティング」を書きとったノートを4冊借りて詳細に分析した。すると阪神のスコアラー陣がチェックしていないものがそこにあった。牽制の後の球種、捕手のサインにクビを振った後の球種、ファウルを打った後の配球の傾向である。ファウルに関しては、そのファウルが、どんな内容だったかの評価までをチェックさせていた。三宅さんは、シーズンのデータをもう一度、すべて見直して可能な限りなかったデータを付け加えて資料を作成して甲子園球場で野村さんを迎えた。