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長崎の爆心地を訪問したローマ教皇 犠牲者への思い感じた自然な振る舞い

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西日本新聞

祈りの油彩 未体験画家が描く戦争

 西日本新聞長崎総局は被爆地長崎で、戦争体験の有無にかかわらず、世代やジャンルを超え、平和の継承に取り組む人たちに目を向ける。戦争経験のない長崎市在住の画家が平和を祈り、長年にわたって戦争を題材に制作してきた作品を連載で初めて紹介する。戦争で払った犠牲の大きさ、懸命に生きた人たちに思いを寄せる。 【写真】キャンバスに向かう画家・ウエダ清人さん    ◇         ◇  1945年8月9日、長崎市松山町の三菱重工長崎造船所が所有していた空き地の上空約500メートルで、原爆がさく裂しました。  今は爆心地公園として原爆落下点を示す標柱と石碑がひっそりと置かれています。すぐ近くの平和公園が広場としてきれいに整備され、修学旅行生たちでにぎわうのとは対照的に、こちらは静かに手を合わせる人が訪れます。私も教員のころは生徒たちと何度も訪れ、千羽鶴をささげました。  この絵は、ここで祈る人たちの姿に着想を得ました。右上には青白い光があり、中心に十字架を掲げる人がいます。  いろんな見方ができるでしょう。目がくらむような原爆が爆発する間際に惨禍から逃れたいと祈ったのか、それとも一刻も早く戦争が終わり、平和な世が訪れるのを静かに願うのか。  「爆心地での祈り」というテーマから外れなければ、絵に何を見いだしてもらっても構いません。原爆で亡くした家族が安らかに眠ることを願う人、遠い国から来て原爆の悲惨さを知った人…。公園を訪れる理由はそれぞれ異なり、受け止めも違うはずです。  昨年11月、この場所をローマ教皇として初めてフランシスコが訪れました。献花の際、花輪に手を置いたまましばらくうつむき、その後に空を見つめた姿が印象的でした。75年前の上空での出来事を思い、長崎の犠牲者を追悼したのだと思います。儀礼的ではなく、ごく自然な振る舞いでした。  演説では「ここは私たち人間が過ちを犯し得る存在であることを、悲しみと恐れとともに意識させてくれる」と語りました。静かな口調でしたが、爆心地の惨劇から長い年月がたってもまだ核兵器を持つ人類の危うさを指摘しているのではないかと思いました。  世界が核兵器から解放されるには、お互いが不信をなくして信頼し合うべきで、そのためには個人や宗教団体、核保有国、非保有国、すべての協力が必要―。その言葉を考えれば宗教者というより、一人の人間として純粋に平和を願っているように感じます。  教皇訪問をきっかけに、爆心地を訪れる人が増え、75年前の惨禍を振り返ってほしいです。どうすれば核兵器がなくなるのか、考えを深めてもらえればいいなと思います。

ウエダ清人

 本名・上田清人(きよと)。1952年、新上五島町の有福島生まれ。中学教諭の傍ら創作にも励み、西日本美術展や上野の森美術館大賞展などで入賞。退職後も大地や長崎・天草の教会群をテーマに制作を続け、作品は数千点に上る。2017年、長崎市街地を見晴らす風頭山頂近くに「風の大地美術館」をオープン。自身や地元作家のほか、発表する場が少ない障害者や若者らの作品も無料で展示する。長崎原爆の日に合わせ、これまで40年近く地元の美術仲間たちと「ながさき8・9平和展」を開いており、応募があった一般作品の展示を通じて、平和を呼び掛ける活動もしている。 ※記事・写真は2020年01月07日時点のものです

西日本新聞社

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