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『Red』三島有紀子監督が語る、夏帆×妻夫木聡との共闘 「感情を“共有”した先にみえるもの」

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リアルサウンド

 直木賞作家・島本理生の同名小説を実写化した映画『Red』。平凡な結婚、可愛い娘、“何も問題のない生活”を過ごしていた、はずだった村主塔子は、10年ぶりに、かつて愛した男・鞍田秋彦に再会する。鞍田は、ずっと行き場のなかった塔子の気持ちを少しずつほどいていく。現在と過去が交錯しながら向かう先の、原作とは別の結末が描かれる。 【写真】『Red』見つめ合う塔子(夏帆)と鞍田(妻夫木聡)  塔子を演じた夏帆、鞍田を演じた妻夫木聡を中心としたキャストはもちろん、スタッフたち全体の“熱”がほとばしる一作となった。本作の監督を務めた三島有紀子は『Red』をいかにして作り、そして未曾有の事態に直面した今、作り手として何を思うのか。Blu-ray&DVDの発売を前に、じっくりと話を聞いた。(編集部) ●自分の内側に「尺度」を持てているか ――2020年2月に公開された本作ですが、実際に映画を観た人たちの感想などを受けて、監督自身はどんなことを感じましたか? 三島有紀子(以下、三島):私たち作り手の覚悟として、この映画の最後のシーン――主人公「塔子」が、ある選択をしたあとの、あのシーンについては、それを力強く観客のみなさんに提示しようという思いがあって。それを快と感じるのか不快と感じるのかを素直に受け止めていただいて、その上で自分だったらどうするのか考えていただけたらいいなと。そこは十分に伝わっているなっていう実感は、すごくありました。そういう意味では受け取り手の立ち位置が見えてくる映画だったのかなと感じています。 ――割とショッキングな終わり方……とりわけ、原作小説を読んでいる方にとっては、ちょっと驚くような終わり方でした。 三島:原作と映画ってやはり別物だなと感じます。だから、映画の全体的な流れで観ていただけたらと思うのですが……。小説を映画化するということは、小説をそのままトレースすることではないのかなと、私は思っています。すぐれた小説というのは、完全と言いますか、『Red』も小説の段階で作品として完成されていますから。なので、それをそのまま映画化することは、あまり意味があることだとは思えないんです。だとしたら、映画にする意味って、どこになるんだろう。そう思ったときに、小説を読んで、どのエッセンスに反応して、どこを膨らませたいと思っているのか、どこを捨てていくのか、どこから見たいのか、映像的な変換をするには? そんなことが大切になってくるのかなと思うんですよね。 ――ちなみに、今回の『Red』で言うと、どのあたりになるのでしょう? 三島:「塔子」も、その相手である「鞍田」も、家庭だったり会社だったり、まわりにいつも人がいるけれど、どこかひとりで生きているような2人ですよね。その2人が、雪の中、車に乗って一夜のドライブをする。――そのシーンが、やっぱりいちばん私に届いたエッセンスだったんです。だから、その一夜で彼女は自分の人生の選択を迫られる夜明けまでの話になれば映像的で面白いんじゃないかなと。あとは、原作にあった「鞍田」が「塔子」に言った「君自身の人生を納得いくように戦ってください」という台詞。これこそがテーマだと思ったので、それを台詞ではなく、映画全体で描きたいと思ったんです。そして、「今まで一度も自分が夫からの電話を無視したことがなかったことに気付いた」という文章があり、それは塔子の性格や夫との関係性が如実に表れていると思ったんです。それで、それを「知ってる? 私、あなたの電話無視した事一度もないの」という台詞にしました。そういう原作のいくつかのエッセンスを広げていって、みんなで2人のキャラクターを作っていったんです。そして、そんな2人が生きていった先に、果たして何があるんだろうって想像してみたら、こういう形になった。だから、この映画の終わり方というのは、私の中ではとても自然なことだったんですよね。でも、キャラクター、人物が本当に生まれる瞬間って、役者さんが現場で生んでくれた時だと思います。役者さんがそこに立って動いた時に初めて生まれた、と感じるんです。 ――本作の公開時は、その内容から、いわゆる「不倫」について、焦点が当たることが多かったように思いますが、それについてはいかがですか? 三島:実際、日本のお客さんは、その結末部分も含めて「塔子」の行動の是非を問う感想も、多かったですね。海外のお客さん――ありがたいことに本作は、海外の映画祭などで上映していただける機会が結構あったのですが、そこで観ていただいた方々は、「彼女の決断を良いとも悪いとも言わない見せ方が、逆に良かった」と言ってくださることが多かったです。塔子の生き方を、道徳や倫理観で語る感覚ではなかったように感じました。そもそも自分自身も、「不倫」について何か物を申したいと思って、この映画を撮ったわけではないんです。 ――というと? 三島:そもそも、私がこの映画を撮ろうと思ったいちばん大きな理由は、若い子たちを含めて、まわりにいる人間を見ていて、自分の内側に「尺度」を持てていない人が、本当に多いような気がしたんです。それは男女問わず。何となくこれがいいと言われているからいい……と言ったような。例えば何かに対して感想を求められたり考えを聞かれたときに、ネットで調べたり、まわりの反応を見ながら意見や感想を言う人が、本当に多いなあと思っていて。 ――SNSなどを見ていても、それは思いますよね。 三島:ある意味とても怖いことだと感じます。自分の意見をじっくり見つめた上で、まわりの意見を聞いたり見たりするのは大事だともちろん思うんですが、自分がどう感じているのかっていうことを見つめないまま、自分の尺度を持たないまま、アウトプットをしてしまっているとしたらそれはとても怖いです。だから、そうではなく、一度まわりの意見を取り払って、自分の中にある本質的なものを見つめ直すこと――この映画の場合だったら、自分の尺度を押し込んでいた塔子が、自分は「誰と何を見ながら生きていきたいのか」っていうことを、きちんと自分の中で掘り下げていって、いろんなことを捨てることになっても、そこから自分の足で一歩を踏み出していくような、そんな人間を描きたいと思ったんですよね。それならば、2020年に投げ掛ける意味があるというか、それこそ男女問わず観ていただいて、何か引っ掛かる作品になるのではないかと。それが、私がこの映画を撮ろうと思った、いちばん大きな理由だったんです。だからこそ、結末も力強く提示する必要がありました。 ――なるほど。 三島:イプセンの『人形の家』の現代版なんだなと思いながら撮っていたのですが、現代で言うとむしろ「女性だから」とか「男性だから」ではなく「女性であるひとりの人間」として、私はどう生きたいのか?ということをやりたいなと。どこにでもあるようなどうしようもない男女の恋愛を通じて、自分って?本当は何を求めているのか?といったことを突き付けられ、自分が生きていく指針みたいなものをつかんでいくっていう、そういうお話のつもりで撮っていった映画です。 ――つまり、「不倫」の是非……それが「正しい/正しくない」みたいなことは、この映画にとって、それほど重要なことではないという。 三島:そういうことですね。もちろん、こうありたいという正しい生き方を映画で見せることもあります。ですが、例えばそれこそ、今村昌平監督が撮られたような作品でも、それが正しいか正しくいないかと言うと、正しくない行動をしている人間が描かれている。けれど、人間ってこういうところもあるよねっていうどうしようもない「欲望」や「業」の探求をしているわけですから。映画全体が、正しいことを求めるものではないと、私は思います。あと、私は、「共感」っていうのも、実はあんまり映画の中に求めていないかもしれません。共感はあってもなくてもいい。あるひとりの人生だったり、2人の人生だったり、その人たちの感情を「共有」したいがために、映画を観ている気がいたします。「共有」には「尊重」があるように感じるんです。自分とは違っても認めると言ったような……。そうやって登場人物たちの感情を「共有」した先に、観る人それぞれの中で見えてくるものがあって。恐らくそれは、ひとりひとり違うと思うんですけど。私は、そういうふうに思っているんです。

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