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甲子園に愛された黒川家。全国V経験者の 父が語る3兄弟の違いと指導法

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昨年夏の甲子園で、今でも印象に残っているシーンがある。3回戦の星稜(石川)と智弁和歌山の一戦。延長11回に星稜のエース・奥川恭伸(現・ヤクルト)が右足をつりかけた際、熱中症を緩和する錠剤を手渡したのが、智弁和歌山の主将・黒川史陽(ふみや/現・楽天)だった。 智辯和歌山・高嶋元監督の壮絶秘話。「くそったれ!」精神で築いた甲子園68勝  試合は延長14回の末、星稜がサヨナラで勝利したのだが、この黒川の行動について父・洋行さんはこう語る。 「いつも『自分がやったる』という気持ちを持てと、子どもの頃から言ってきました。あの試合、まったく打てなかった(6打数無安打)のですが、『ここで活躍するのはオレや』って、そう信じてプレーしていたと思います。あのシーンについては、すべては自分のために返ってくるという思いだったのかもしれないですね」  黒川は情に厚く、自分にも厳しい。普段の練習でもストイックに追い込む姿を何度も目にした。自分が主役になりたいと思う一方で、相手には最高のコンディションでいてほしい......それがあの行動につながったのだろう。  ちなみに、黒川は5季連続で甲子園の土を踏み、兄の大雅(現・九州共立大4年)は日南学園(宮崎)で3年春夏に甲子園に出場。弟の怜遠(れおん)も現在、星稜の2年生で、この春に開催されるはずだったセンバツでもベンチ入りする予定だった。  なにより、父の洋行さんは上宮(大阪)で1年秋からレギュラーとして活躍し、1学年上の黒田博樹(元広島)や筒井壮(元阪神)らと一緒にプレー。主将として出場した1993年春のセンバツでは全国制覇を果たすなど、まさに"甲子園一家"である。

洋行さんが高校時代を振り返る。 「僕がいた頃の上宮は、上の2学年で7人もプロに行くほどレベルが高かった。そのなかで早い段階から使ってもらったんですけど、高いレベルのなかに身を置くと、『自分はこんなにできるんだ』と思えるほど上達するんです」  当時の上宮は、大阪で屈指の強豪校としての地位を築いており、ハイレベルな選手が集まっていた。厳しい練習と激しい競争に揉まれ、洋行さんは野球の奥深さを学んだ。  その後、同志社大、ミキハウスでプレー。7年目のシーズン後に休部が発表されると、セガサミーへ移籍。「自分よりも若い子を優先して試合に使ってほしい」と、おもにコーチとしてチームを見守った。8年間在籍したのち、母校・同志社大のコーチに就任。その傍ら、現在は地元・奈良でバッティングセンターを経営している。  このように黒川家の日常に野球があるのは当然で、3人の息子たちも自然と野球に触れていった。 「一応、家にテレビゲームはあったんですけど、『野球のほうが面白いよ』とボールやグラブを置いて、(子どもたちが野球に興味がわくように)仕向けました(笑)」  交友関係の広い洋行さんが連れてきた野球仲間と家族ぐるみで食事をともにすることもあり、そのなかにはプロの第一線で活躍する選手もいた。『こんなすごい選手になりたい』と子どもたちは大きな目標を持ち、野球への興味はどんどん強くなっていった。

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