子どもが適性をみつけられるよう親がすべきこと 親が子に先んじて努力しなければいけない
長女と次女はテレビを制限するために親子間の摩擦が生じたが、三女のヘソンに対してはパソコンの利用をめぐって頭を痛めることが多かった。だが、雨のように降り注ぐ情報で、親も賢くなる。私のような母親でさえ、パソコンとインターネットで情報を得て知識を蓄えることができるのだ。 ただ、多くの情報を持っているからといって、一歩先を見る観測者になれるわけではない。重要なのは、その多くの情報のなかから本物と偽物を選り分け、どんな情報がわが子に当てはまるのかを判断する見識を育てることだ。
さらに、その見識でわが子だけの新しい能力を見つけることもできる。これは学校などの教育機関に全面的に任せるには限界がある。なぜなら、学校側が持っている情報が子どもに合う保証はないからだ。子どもに合った情報を探すのは、親が子どもを完全に理解し、子どもに必要な情報を選び抜く見識を持つことで、初めて可能となる。 この見識は一朝一夕に身につくものではない。たくさん本を読み、変化を察知し、子どものことを心から気にかけることで得られるのだ。
■才能よりも品性を育てる 子どもの才能を見出すためにまず頭に思い浮かんだのは、子どもの品性の教育だ。アメリカにいると、地域ボランティア活動という言葉を自然と何度も聞くようになる。特に私たち家族は、日常的にこの言葉と強いつながりを持っていた。 アメリカに到着した私たちが英語を学ぶため噂を頼りに見つけた先生は、80歳近くのおじいさんで、元大学教授だった。週に一度、わが家に来て2時間ずつ個人レッスンしてもらった。このレッスンは一種の地域ボランティアだったが、時間もきちんと守って、本当に真面目に教えてくれた。そんな姿を見ながら、「自分だったら、退職後もこのようにボランティアができるだろうか?」と考えた。
このように、アメリカは社会の隅々までボランティア活動が盛んで、日常生活のなかでふつうに見かける。アメリカに移住したばかりの頃に私を手助けしてくれた上の世代の韓国人移民たちは、人のために献身する習慣が身についている。彼らはボランティアを市民の責任であり、義務だと考えていた。 アメリカの子どもたちは親や祖父母にならって、当たり前のようにボランティア活動に参加する。子どもたちは初めから他人を助けたいと思って始めるのではなく、最初は親について学んでいくのだ。そして活動の場で褒められ、ちょっとしたおやつやおもちゃなどをもらいながら、ボランティアの醍醐味を知っていく。