第154回 直木賞受賞者・青山文平氏の記者会見(全文)
現在の体調と大病後の覚悟について
司会:よろしいでしょうか。続いてご質問の方。じゃあ、真ん中の女性の方。 毎日新聞:毎日新聞のナイトウでございます。おめでとうございます。 青山:よろしくお願いします。 毎日新聞:今から3、4年くらい前にちょっと大病をなさって、そのときに今後のことをあらゆる場面で選択する覚悟が必要だっておっしゃっていたんですけれど、今のご体調と、そしてそのとき考えておられた今後も覚悟が必要だっていうのは、一方で年齢関係なくバリバリは書いていかれるんですけど、一方でやはりその覚悟というのは今、お持ちでしょうか。 青山:覚悟、そうですね。3年前というのは私は、2011年に松本清張賞を取ったその翌年に大腸がんになったんですけれども。で、今、3年半目で幸い経過は良好で、良好というのか何の問題もなくきているんですけども、今あんまり意識してないんですね。その検査、定期検査のときは半年と1年でありますけど、そのときは当然、誰だって意識すると思うんですが、あんまり今はそういうことを気に掛けてはいない。非常に体調はいいもんですから。 ただ、それはちょっと偉そうなんですけど、そういうときに当然、がんですから自分が死ぬってことを考えるわけですよ。考えない人はいないと思うんですけども。で、そのときにやっぱり医者から言われたんですけども、大腸なんですけども、手術にするに当たってほかのところに転移していないかということで、胃カメラとか飲むわけですよね。 で、なかなかやっぱりがんになったというそのストレスで胃が潰瘍になって、胃カメラを飲むとなんか血だらけになってる方もいらっしゃるそうですよ。その、もう「ああ、がんになっちゃった」ということでそれが潰瘍をつくっちゃうんですね。それで出血すると。で、私はその胃カメラで非常にきれいだとほめられたんですけれども。うん、だから、私はそのがんを精神的には、胃を痛めるほどには受け止めていなかったということは、言えるのかなと。そのときは思いましたけれども。 そういうその見切りですよね。死ぬかもしれないと、がんになったと。そしたら自分はどういうふうに向き合うんだっていう見切り。そういう見切りをする上で、これは文芸のPRですけど、文芸っていうのはやっぱり非常にいいもんだと思いますよ。自分はどういうふうに今までの生きてきたことを受けとめてるのかとか、どういうふうにこの手術と向き合うのかとか、そういうのを考えるときに、そのとき自分の精神世界を築くものっていうのは、僕は文芸ジャンルだと思いますよ。ということで文芸のPRにしたいと思いますけども。はい。 司会:よろしいでしょうか。それでは、ですね。じゃあその後ろの右、左側の男性の方。 読売新聞:読売新聞のムラタです。おめでとうございます。『つまをめとらば』ということなのでお伺いしたいんですが、奥さまには受賞のご連絡はされましたでしょうか。 青山:ええ、さっき、当然、夫の義務ですからね。 読売新聞:なんておっしゃっていらっしゃいましたか。 青山:いや、別にうちの奥さんはあんまりそういう、なんかあれなんですね。私のことではない、ということなんで。あんたのことだという(笑)。 読売新聞:さまざまな夫婦の形というか、男女の形が書かれた小説であるんですが、その中に青山さん、ご夫婦お2人暮らしだということなんですが、そういう長年の関係性とかが表れているのかどうかというようなこと、それと奥さんはこの本をお読みに、もしもなられているんであれば、どのような感想を持たれているのかを。 青山:最初に答えやすいところから言いますけど、うちの奥さんは私の書いたものは一切読みません。だから、今回も読んでないですね。その関係性というのは当然、影響しないわけがないわけでして、男と女が一緒にこういう、まったく価値観もあれも違うあれが一緒に何十年と暮らすわけですから、当然ものすごい影響を受けるわけですね。それはもう誰でも同じだと思いますけれども。ただ『つまをめとらば』に書いたものというのは、別に個人的なプライベートなあれを特に意識して反映させたということはありません。そうじゃなくても、当然出てくるものですから。 読売新聞:何か意識して書かれたかどうかは別として、そういう暮らしの中でそういう何かにじみ出る部分がこの作品の中であったというところはありますでしょうか。 青山:具体的にはないですけども、要するに小説というのは基本的に世界観ですから、最初、小説を書いてみたいといってなかなか書けない。世界観というのはご大層なものじゃなくて、自分がこの世の中をどういうふうに考えているかということですから、それがないと終われないんですよね。書き始めて終われない。たいてい小説やったけど書けないっていう方は終われない方なんですよ。で、終われないっていうのは終われない理由がある。まだ終わるまでいってない。だからその、当然そういう、ちょっとその。 ちょっと今のは偉そうだからちょっとなしにして。だけど、さっき言ったように世界観というたいそうなもんじゃなくて、誰でもそういう、自分はこういう世の中に対してこういうふうに思っていると。それを形成するのに自分の奥さんというのは影響を、一番強い影響を与える。それはもう当然のことだと思います。 読売新聞:ちょっとお伺いしにくい、最後1つお伺いしますが、そういう奥さまと一緒になられて、こういう形で直接ではないにせよ賞になったわけですが、奥さまと結婚されてよかったなと思うようなところはどういうとこでしょうか。 青山:うちの奥さんの一番のいいところは、ケチではないということです。私は財布を彼女が握ろうと、預かろうとしないものですから、全て私が経済、財布、財布っていうか、握ってた、握ってると言うと語弊がありますけど。要するに私は小遣いをもらってる亭主ではない。要するに私が生活費を渡す。で、とにかくケチではないという、さっきも話しましたけど、ある範囲でまったくいそういう制限を設けないでいてくれたっていう、そういう面では非常に感謝しています。大した金額じゃないですから、もともと。 読売新聞:ありがとうございます。 司会:よろしいでしょうか。ほかにじゃあ、奥の眼鏡の方。はい。右奥。 読売新聞:すいません。読売新聞のウカイと言いますが、中央公論新人賞を受けて、芥川賞、直木賞を取った作家って2つの名前を持ってる作家が多いと思うんですが、福田章二さんが庄司薫さん、尾辻克彦さんが赤瀬川源平さん、それから色川武大さんが阿佐田哲也さんと。そして今回また、2つの名前を持つ作家となるわけですが、青山さんにとってもう1つの名前であった、あるというべきなのか、影山さんというのとはどんな関係で。また今、若き日の影山さんに何か言ってあげたいこととか、何かあるとすれば教えていただければ。 青山:いや、若いころはやっぱり若いわけですから、それはしょうがないわけですね。だからまあ、言ってやることはないですね。若かったということです。 司会:よろしいでしょうか。 読売新聞:2つの名前の関係ということについて。 青山:2つの名前は、私は名前に関してはあんまりないです。便宜的に名前を付けなきゃならないからそう、名前あるわけで、じゃあ、その名前に対してことさらな思い入れがあるかというと、そういうことはありません。 司会:はい。それでは次の質問、じゃあ、この男性。