大ヒットで単館から異例の全国公開へ! 『侍タイムスリッパー』監督が語る制作秘話「スターで映画を作るより、映画でスターを作ったほうが面白い」
――もともと映像制作の仕事をされていたんですよね? 安田 京都でビデオ撮影の会社をやっていました。今は父親のコメ農家を引き継いでいますが、こちらも映画と同じくらい儲からない(笑)。だから、映像の仕事も続けています。 ――映画製作の経験は? 安田 自主制作の『拳銃と目玉焼』(14年)が初めての監督作品です。45歳のときだったんですけど、映画はド素人だったから、制作に3年かかりました。 制作費は750万円。全部自腹です。自主制作といえども、俳優さん、スタッフさんにちゃんとギャランティをお支払いしたかったので、そのくらいかかってしまいました。 ――同作は低予算ながら、特撮ヒーローものにオマージュをささげた内容と娯楽性が高く評価されました。各地のシネコンでレイトショー上映もされたそうですね。 安田 でも、結局は500万円の赤字だったんです。というのも、40代の自分が面白いと思う映画を作ったら、お客さんも40代の男性に偏ってしまって、あまり広がっていかなかったんです。 この路線では厳しいとわかって、次はどうしようかってときに、親父が病気して田んぼを手伝うようになって。「このまま親父が死んだら、俺が農業をやらなあかんのか」と考え始めたときに、「あ、これは映画になるわ」と。 シネコンで上映される娯楽作品もいいけど、地方の公民館で息が長く上映されるような映画を作れば、長期的に制作費をペイできるんじゃないかと思って、『ごはん』(17年)という作品を作りました。 ――前作の娯楽路線から一転、コメ農家の現状をリアルに描いた作品で、まさに監督の実体験が反映されていましたね。 安田 前作に比べて地味な内容だから、単館で終わるかなと心配だったんですけど、農業関係や教育関係の団体が定期的に上映会を開催してくれて、今度は400万円の制作費をなんとか回収できました。 ■"日本一の斬られ役"福本清三氏の死