井上尚弥34年ぶりの東京ドーム興行の裏メイン…ど田舎地方ジムの世界王者・ユーリ阿久井と大手ジム・桑原の因縁マッチ「世界王者になっても僕はどこ行っても実質Bサイド(脇役)でしょ」
「井岡二世」と呼ばれた挑戦者
ここで視点を少し桑原に移す。小学生からボクシングを始めた桑原は国体優勝などのアマチュア実績を引っさげ、大学卒業後に大手の大橋ジムに入門。大阪の興国高校から東京農業大学というアマチュアボクシングのエリートコースは4階級制覇の現世界王者・井岡一翔と同じで、「井岡二世」とデビュー当時から注目された。 しかし、井岡とは決定的に違う点がある。大学を中退していないことだ。井岡に限らず、東京農業大学は中退してプロ入りする選手が少なくない。一方で桑原は、自分も中退すると高校の後輩の推薦に影響することを配慮して、4年次には主将を務めながら大学を卒業したと伝え聞く。 筆者は一度だけ、別の選手の取材で、練習中の桑原に会ったことがある。サンドバッグを打ちながらこちらを振り向き、少し離れたところで立っている筆者に笑顔をみせ、大きな声で挨拶をしてきた。「こういう選手は、応援してくれる人が多そうだな」と率直に思った。 岡山出身の阿久井と大阪出身の桑原は同じ1995年生まれ。高校時代は全国大会で同階級の選手としてお互い意識はしていたが、対戦はなかった。初めての対決はプロ入り後、ともに26歳を迎える年だった。その時は先述の通り、故郷大阪を離れて名門ジムに入った「井岡二世」の夢を、故郷・岡山に残った日本王者・阿久井が打ち砕いた。
世界王者になっても「どアウェイ」
これまで岡山県の小さな会場で戦ってきた阿久井だが、前戦の世界戦は収容人数5000人ほどの大阪エディオンアリーナで戦った。次戦の東京ドームは最大5万人規模の会場となるが、「会場はあまり気にならないかな」という。 「東京は好きですよ。でも言うたら“どアウェイ”ですからね。世界王者になっても、僕はどこ行っても実質Bサイド(脇役)でしょ」 今回も前戦と同様、王者である阿久井が相手選手所属の大橋ジムの興行に“お呼び立て”され、東京で戦う。 「まあ、会場はどこであろうが、自分は勝つだけですけど」 岡山のジム所属で初めての世界王者となった阿久井は〝地方の星〟だ。しかし本人は、決して地方ジムを薦めているわけではないという。 「いろいろ苦労はありますよ。だってよく考えてくださいよ、世界王者になったからってジムが力を持つわけでもないし。そんなの誰がオススメするんですか」 珍しく語気を強めて言う。 「大きな舞台で試合をさせてもらうことにはすごく感謝しています。でもそれとは別に、初防衛戦がアウェイで相手の興行でリベンジマッチを受けるって、ねえ……なかなかないでしょう。簡単に『地方に残って頑張れ』とか言えないですよ」 しかし、所属する倉敷守安ジムを選んだことにもちろん後悔はなく、むしろ感謝がある。前回の桑原戦後にこんなエピソードがあった。 試合後にホテルで休んでいると、ドアのノックが聞こえた。開けると会長が立っていて、「これ」と言って封筒を手渡し、すぐに戻っていった。なかをみると一万円札の束が入っていた。 ジムの経営がラクではないことを知っていた阿久井は、少しこみ上げるものがあった。 「感謝してますし、環境のせいにはできないですよ。結局、自分しだいじゃないですか」
相手の度胸は評価してあげたい
ひとつ、心配な点もある。世界王者になったことや、一度勝っている相手との試合で、モチベーションが下がっていないかということだ。 「まあ、いつも通りですよ。目の前の試合に勝つだけだからこっちは」 今回も自信がある? 「そうですね。ただ、並大抵の神経では、倒された相手にリベンジマッチを挑もうってならないですからね。そこは相手を尊敬していますし、評価してあげないと。相当な覚悟で来るでしょう」 阿久井の初防衛戦は5月6日、“どアウェイ”東京ドームで行われる。 取材・撮影・文/田中雅大
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