<春に挑む・東海大菅生センバツへ>/上 不安払い勝ち抜く 主将欠いた秋、一人一人が成長 /東京
さわやかな秋空の下、東海大菅生の本田峻也投手(2年)は、捕手の福原聖矢(1年)の構えたミット目がけて無心で腕を振り続けた。2020年11月15日、神宮球場の秋季都高校野球大会は日大三との決勝を迎えていた。直球とチェンジアップを織り交ぜ的を絞らせない。7回1安打1失点。打線も七回に4安打に足を絡め一挙4得点で突き放した。 九回、抑えの千田(ちだ)光一郎(2年)が最後の打者を見逃し三振に打ち取ると、選手たちはマウンドに駆け寄った。歓喜の輪の中に、背番号8を付けて三塁コーチャーを務めた栄塁唯(るい)主将(2年)もいた。 3カ月前。夏の大会で栄は右肘に違和感を感じながらプレーしていた。西東京大会に優勝し、東京一を決めた東西決戦では中堅の守備についた。ピンチを救うバックホームをしたとき、痛みに襲われた。試合後、疲労骨折だと分かり、手術することになった。 痛み止めを使い秋の大会に出ることも考えたが、若林弘泰監督(54)に「センバツに行くことになれば、そこでプレーすればいい」と説得された。 新チームは、主将に選ばれた栄を欠いて大会に臨むことになった。「優勝してみんなで甲子園に行けたらいいね」。練習の帰り道、橋本唯塔(ゆいと)(2年)から声を掛けられた。栄は「まじ、行きてえ」。不安を払うように言った。 秋季都大会、チームは勢いに乗っていた。足を使った攻撃が機能し、予選から準決勝まで7試合で51盗塁、中でも福原が一人で13盗塁した。4番の堀町沖永(おきと)(2年)を中心に打線も好調。主将に代わって外野を守った小山凌暉(りょうき)(1年)も打ちまくった。試合ごとに一人一人が成長した。 わずかな心配は、本田が自分の投球に満足していないことだった。関東一との準決勝では球が荒れ、四死球で出した走者を還された。決して低いレベルではないが、受ける福原は、さらに高みを目指していることを理解していた。 決勝の前夜、バッテリーは寮で日大三の動画を見て話し合った。同室で仲の良い2人は打ち合わせを10分程度で済ませてきたが、この日は1時間かかった。要注意の打者の確認、球を低めに集めること、各回の配球。お互い話し尽くし、納得して眠りについた。 当日、本田は「今日は大丈夫」と思えた。不思議な感覚で、満足のいく投球もできた。辛口の若林監督も「(勝因は)本田のピッチング。試合を作ってくれた」とたたえた。 ◇ 6年ぶり4回目のセンバツ出場を決めた東海大菅生の道のりを3回の連載で振り返る。中編は20年春。新型コロナウイルスの感染が国内に広がっていた。【林田奈々】=[中]は2月2日に掲載します 〔都内版〕