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元特捜検事と元新聞記者が明かす「検察とメディアの癒着」

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NEWS ポストセブン

長谷川:そういう問題意識を持っているのは、検察の世界では、郷原さんぐらいしかいないんじゃないですか。

郷原:私はもともと検察官になりたいと思っていたのではなく、たまたま入り込んでしまったから。

長谷川:大方の検察官はそんなことを思っていないでしょう。さらにすごいのが財務省ですね。財務省は新聞記者が財政について意見するなんてとんでもないし、できるわけがないと思っている。それをするのは俺たちの仕事だと。省議や局内で決めたことがすべてで、そこで決めたことを通知する相手が記者です。財務省には、幹部が記者や評論家など部外者に説明するための「標準的な説明の流れ」という30枚から40枚くらいの文書があって、どの記者がどんな議論を吹っかけても、相手はそこに書いてあることしか答えない。財務省はそこまで意思が統一されています。

郷原:特捜部の捜査というのは、ボート型フォーメーションなんです。ボート競技のボートです。(最後尾で舵を取りながら漕ぎ手に指示を出す)コックスがいて掛け声をかけ、そのコックスの掛け声で必死に漕いでるだけで、どっちに向かって進んでいるのかすら分からない。上から言われた通りのストーリー通りに調書を取る、それが特捜部の所属検事なんです。そういう軍隊組織の形は、メディアとも似てますよね。メディアも上に言われたものを取ってくるだけで、上に言われたことを考えずにやるということは検察と同じ。捜査も取材も、個人が創意工夫して頭を使うから真実に迫れるし、いろんなことが明らかになる。それなのに特捜部は、先にストーリーを上の人間が決めてしまうので、新たな発見はない。

長谷川:新聞記者の場合は、支局に入社したときからデスクに徹底的に、さっき話したような取材のイロハを叩き込まれる。そのうち、俺は考えちゃいけないんだ、と思うようになる。検察も同じなんですね。

郷原:そうしたビヘイビア(振る舞い)が、身について来るんですね。検事の場合、任官してしばらくは、小さな事件でも自分でやるので、自分で考えて、自分で決める。ところが、特捜部のような大きな事件をやるときは違う。そこには個人の考えというのはほとんど関係ない。そこに違和感を覚える人間はいるんですが、その価値観を受け入れることができる人間が長く特捜部にいて主任、副部長、部長に出世していく。

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